タチカワゴロウ(68歳・靴修理職人45年)
「買い替えた方が、安いですよ」。私は値段を先に言う。オールソールは八千円、いいもので一万二千円。同じ金で新しい靴が買える。それでも「これで」と差し出す客が、四十五年、絶えたことはない。私はその靴を返さない。手に取ったまま、踵から見る。
中敷きを抜く。踵のところだけが、紙が湿って乾いてを繰り返したように深く沈み、その人の踵の形に固まっている。コバの溝には、クリームが溜まって白く粉を吹いている。小指側だけ艶が鈍い。指が届かなかった側だ。手入れは下手だった。下手なまま、何年も続けられていた。理由は聞かない。中敷きの沈みが、聞くよりも先に答えている。
オールソールは、糸を解くところから始まる。出し縫いを一本ずつ起こし、本底を剥がし、減ったコルクを掻き出して、新しいコルクを盛る。ウェルトが生きていれば、また縫える。死んでいれば、ウェルトから替える。生きているか死んでいるかは、縫い穴に針を一本通せば分かる。迷う場面ではない。半日後、客は取りに来る。
逆の客が、高い靴を台にぽんと置く。底はあと一回履ける。「もういいや、これ」。私が口を開く前に、もう背を向けている。同じ日に、同じカウンターで、片方は一万二千円かけて踵の沈んだ靴を継ぎ、片方はまだ履ける靴を置いていく。値段の話を、どちらもしていない。
仕舞い込まれていた合皮が来る日もある。底のウレタンが、触れる前から崩れて、足元にぼろぼろと落ちる。表面の合皮は指に粉をつける。糊刷毛を当てても、溶けた接着はもう何も掴まない。針も通らない、糊も食わない。手が、止まる。
「これは、直せません」。私はそのとき、靴のせいにする。「素材が寿命なんですよ。革なら、まだやれたんですが」。本当のところ、革か合皮かの問題ではない。だが客は、革ならと聞くと、少しだけ頷く。靴の落ち度ということにして、靴を返す。
取りに来た客は、引き戸を開けると、まず棚を見る。自分の靴を、目で探している。踵の沈んだ靴の持ち主ほど、その目が早い。見つけて、私が差し出すと、目がほどける。「もういいや」と置いていった客は、振り返らなかった。棚を、探さなかった。
四十五年、無数の靴がこのカウンターを通った。直された靴のことは、ひとつも覚えていない。覚えているのは、踵だけが深く沈んだ中敷きと、棚を探す早い目だ。今日も、誰かが靴を差し出す。私は値段を先に言ってから、中敷きを抜いて、踵を見る。