タカギフミオ(53歳・時計店主28年)
時計屋の朝は、歩度測定器のスイッチを入れるところから始まる。前の晩に預かった時計を機械に当てると、針が一日にどれだけ進むか遅れるかが、プラスマイナス何秒という数字で出る。私はこの数字で二十八年生きてきた。プラス十五秒なら多すぎる、マイナス二秒なら上等だ。世の中のたいていのことは数字にならないが、時計の良し悪しだけは数字になる。私はそれが好きで、この仕事を継いだのだと思う。
店は祖父が始め、父が継ぎ、三代目が私だ。一九九八年、二十五歳で店に入った。学校で時計の構造は習ったが、客のことは何も習わなかった。客というのは、止まった時計を持ってくる人のことだ。動いている時計を持ってくる人はいない。当たり前のことだが、店に立って初めてわかった。私の前に置かれるのは、いつも動かなくなったものだった。
その日、店内には古い柱時計の振り子の音が静かに重なっていて、午後の光がガラスケースの上に長く伸びていた。入ってきたのは、七十くらいの女の人だった。ハンカチに包んだものを、カウンターにそっと置いた。男物の腕時計だった。文字盤は黄ばんで、ベルトは汗で形が変わっていた。「直りますか」。それだけを言った。
裏蓋オープナーを当てて、こじ開けた。中を見て、私は少し黙った。油は完全に固まって飴色になり、ムーブメントの何枚かの歯車には錆が浮いていた。型番を確認した。すでに製造が終わっているもので、交換部品はメーカーにも残っていない。汎用品で代わりがきく部分もあるが、文字盤や針は無理だ。直すとなれば、分解掃除に加えて部品を一つずつ手当てして、たぶん同じ型の中古がいくつも買える額になる。私はそろばんを弾くまでもなく、それを正直に伝えた。新しいのをお買いになったほうが、ずっと安いですよ、と。
女の人は、私の言葉が終わるのを待っていたみたいに、「お願いします」と即答した。値段を聞き返しもしなかった。私は二十五歳で、まだ修理代の見積もりを言うのが仕事だと思っていたから、その即答の前で、次の言葉が出てこなかった。直す価値と、動く価値は、別の勘定なのだと、このとき初めて知った。時計の良し悪しは数字になる。けれど、この人がなぜこの時計を動かしたいのかは、どんな測定器にも出てこない。
預かり伝票には「特記事項」という欄がある。たいていは空欄か、「ガラス傷あり」くらいしか書かない。その日、私はそこに何を書けばいいのかわからなかった。たぶん、ご主人のものだったのだろう。確かめはしなかった。確かめないことも、この仕事の一部なのだと、あとになって思うようになった。
あれから二十八年、止まった時計を持ってくる人を、私はただ見てきた。気づいたことがある。電池交換だけで動き出す時計というのがあって、たった数百円で秒針が動き出した瞬間、客の顔が変わる。緩んでいたものが、ふっと戻る。動き出したのは時計なのに、息を吹き返したのはその人のほうに見える。そういう時計を、人は「形見の時計」と呼ぶ。預かりものではないと言いながら、私はいつも、誰かの時間を預かっている気がしている。
文字盤の汚れを「拭かないでくれ」と言う人もいる。最後に巻いたときの指の跡なのか、それとも単に汚れたガラスごと覚えていたいのか。私は理由を訊かない。言われた通り、汚れを残して動くようにして返す。時計屋は時間を正確にする仕事だと思われているが、本当は、その人にとっての時間を、そのままにして返す仕事なのかもしれない。
あの一九九八年の秋の即答が、私を観察者にしてくれた。歩度測定器の数字の外側に、もう一つの勘定があることを、あの女の人が教えてくれたのだ。今日も店の柱時計は、静かに時を刻んでいる。プラスマイナス、人それぞれの秒で。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。