正月の、配達
町がいちばん静かな朝のこと

タカヤナギメイ(29歳・牛乳配達7年)

夜が明ける前の町を、一軒ずつ回る仕事をしている。元日も、それは同じだ。牛乳は生ものだから、休配の連絡が入らないかぎり、正月でも届ける。販売店に着くのは三時半。氷を敷いて、ルート表の順に積む。違うのは、いつもより配る本数がずっと少ないこと。年末に「31日までで止めてください」のメモが受け箱にいくつも入って、その分だけ、保冷箱が軽い。

元日の道は、空いている。いつもの朝でも町は寝ているけれど、正月は寝方が違う。普段の朝は、新聞配達のバイクや、早番の人の自転車と、ときどきすれ違う。元日はそれがない。だれともすれ違わないまま、私は自分のペダルの音だけを聞いて、区域をひとつずつ回っていく。町ぜんたいが、ずっと寝ている、という感じがする。

受け箱には、年末のメモがまだ残っていることがある。「年内で一旦止めます。よいお年を」。輪ゴムで留められた、走り書き。受け箱は、こういうとき手紙の代わりになるのかもしれない。会わない相手と、紙きれでだけやりとりをしている。私はそのメモを回収かごに入れて、その家には、新しい一本を置かずに通り過ぎる。

帰省で空っぽになった家は、見ればわかる。年末から牛乳が溜まっていないのは、ちゃんと止めてくれた家。逆に、止め忘れたまま帰省した家は、大晦日の一本が受け箱に残ったままになっている。雨戸が閉まって、ガレージの車がない。そういう家の前では、私は決まりどおり、一本を入れずに次へ向かう。年が明けても灯りのつかない窓を見ると、なんだか少しさびしい気持ちになる。

元日の朝、台所に灯りのついている家は、数えるほどしかない。指で足りるくらいだったと思う。その数軒の窓には、湯気が立っている。雑煮だろうか、それともお茶だろうか。ガラスの内側がうっすら曇って、人のいる気配だけが、外までにじんでくる。眠った町のなかに、ぽつ、ぽつと灯る台所。あたたかそうだなあ、と思いながら、私は自転車を漕ぐ。

正月は、販売店も人が足りない。みんな休みたいから、交代で回す。私が二日と三日に出て、別の人が元日に出る、という年もあれば、その逆の年もある。区域を入れ替わるとき、ふだん回らない家の受け箱の蓋を、初めて開ける。蓋の開け方が、家ごとに少しずつ違う。固い蓋、軽い蓋。他人の区域を一日預かると、その人がどんなふうにこの町を読んでいるのかが、蓋の手ざわりから少しだけ伝わってくる気がする。

年が明けてしばらくすると、受け箱に新しいメモが増える。「今年もお願いします」。年末に止めた家が、また始める合図だ。タオルが一本、添えられていることもある。「あけましておめでとうございます」と印刷された、ありふれた年始のタオル。私はそれを受け取って、新しい一本を置く。止めますのメモと、お願いしますのメモ。受け箱は、別れと再会を、紙きれで知らせてくる。

松の内が明けると、町がもとに戻る。それは、配る本数でわかる。元日にいちばん少なかった保冷箱が、七日を過ぎるあたりから、また重くなりはじめる。すれ違うバイクや自転車も戻ってくる。私はカレンダーを見なくても、保冷箱の重さで、正月が終わったことを知る。町は、配達量で、ふだんに帰っていく。

七年、正月も配ってきて、思うことがある。受け箱は、町と私の文通なのだ。止めますのメモ、お願いしますのメモ、年始のタオル、止め忘れたまま帰省した家の一本。声を交わさなくても、紙きれと空き瓶と灯りで、私たちはずっとやりとりを続けている。元日の静けさは、その文通がいちばん静かに息をしている時間なのだと思う。今日も三時半に氷を敷いて、私はいちばん静かな町を、一軒ずつ回りはじめる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。