タケウチソウタ
部活の帰り。雨。傘ない。スマホの充電もない。
駅前の図書館に逃げ込んだ。
雨宿りのつもりだった。
やることがない。スマホは死んでる。充電1%で落ちた。友達に連絡もできない。かばんの中にイヤホンはあるけど、つなぐ先がない。
図書館の中をうろうろした。静かだった。エアコンが効いてて涼しかった。外の雨の音がガラス越しにぼんやり聞こえる。
棚を見た。適当に歩いて、適当に止まって、適当に一冊抜いた。
なんの本かは言わない。別にどうでもいい。たまたま手が届いた、それだけ。
椅子に座って、開いた。
最初の3ページくらい、なんか入ってこなかった。文字が滑る感じ。スマホで文字を読むのと同じ——目が動いてるだけで頭に入らない。
でも、4ページ目くらいから変わった。
なんだろう。指でページをめくる、あの動作。右手で紙の端をつまんで、ぺらっとやる。あれをやるたびに、なんか進んでる感じがする。
スマホのスクロールとは違う。スクロールはどこまでも続く。タイムラインに底がない。リールに終わりがない。指を動かし続ける限り、永遠に流れてくる。
本は違った。
右手で持ってる残りのページ。
あと何枚あるか、指でわかる。
薄くなっていく。読むほど、右手が軽くなって、左手が重くなる。終わりが、物理的に近づいてくる。
それがなんか、安心した。
気づいたら、外が明るくなってた。
雨、止んでた。いつ止んだかわからない。窓の外を見たら、アスファルトがまだ濡れてて光ってたけど、空は白くなってた。
時計を見た。図書館の壁にかかってるアナログのやつ。1時間経ってた。
1時間。
スマホで1時間は、ある。ティックトックで気づいたら1時間とか、普通にある。でもあれは「消えた」1時間だ。何を見たか覚えてない。面白かったはずなのに、何も残ってない。指がスクロールしてただけ。
図書館の1時間は違った。
何を読んだか、ちゃんと覚えてる。全部じゃないけど。途中のあの場面と、あの一文。覚えてる。
スクロールの1時間=時間が消える。指は動いてたけど、何も残らない
ページの1時間=時間が残る。指でめくった分だけ、何かが積もってる
同じ1時間なのに。同じ「文字を目で追う」なのに。残り方が全然違う。
たぶん、「終わりがある」ってことが大事なんだと思う。
本には最後のページがある。ページ数が書いてある。「あと30ページ」「あと10ページ」「あと3ページ」。ゴールが見える。だから集中できる。
スマホには終わりがない。タイムラインは無限だ。リールは無限だ。おすすめは無限だ。終わりがないから、自分で止めないといけない。でも止められない。止める理由がないから。
本は勝手に終わる。最後のページをめくったら、終わり。「はい、ここまで」って、本のほうが教えてくれる。
終わりがないものは、止められない。
終わりがあるものは、安心して没頭できる。
なんか変な話だけど。自由なほうが不自由で、制限があるほうが楽、みたいな。
ふと思い出した。
前に#7で名古屋めしの話を書いたとき、コメダに行った。朝早くて、窓際の席におじいさんがいた。新聞を読んでた。紙の新聞。
あのとき、「なんでスマホで読まないんだろ」って思った。アプリあるじゃん、って。
今ならわかる気がする。
あのおじいさんも、たぶん同じだったんだ。紙の新聞には終わりがある。最後のページがある。読み終わったらたたんで、コーヒー飲んで、店を出る。それで完結する。
スマホのニュースアプリには終わりがない。スクロールし続ける限り、ニュースは出てくる。読み終わりがない。
あのおじいさん、めちゃくちゃ賢かったのかもしれない。
いや、賢いとかじゃなくて——たぶん、体で知ってたんだろうな。「終わりがあるもの」を選ぶ感覚を。
結局、その本は借りなかった。
図書カード持ってなかったし。棚に戻した。元の場所がわからなくなって、たぶん違う場所に入れた。次にあの本を手に取る人は、探してたのと違う棚で見つけることになる。
まあ、それでいいか。俺もそうやって見つけたんだし。
外に出た。雨上がりの匂いがした。アスファルトと、土と、なんかちょっと草っぽい匂い。
スマホはまだ死んでた。
でも別に困らなかった。家まで歩けばいい。道は覚えてる。スマホがなくても帰れる。当たり前のことなんだけど、なんかちょっと新鮮だった。
充電が切れて、雨が降って、暇で、
適当に手に取った一冊。
たぶん、また行くと思う。図書館。
たぶん。