核は強い。シリンダーとディスクの「故障の質の違い」――止まった形の故障と、回りながら掴めなくなる進行形の故障――をスターホイールの摩耗で説明する箇所。爪・星・歯の三段の受け渡し。そして反った円盤を定盤で押し戻す、終わりの見えない手つき。この三点だけで、シリンダー職人がディスク式に出会った驚きは十分に立つ。問題は、書き手がその驚きを信用せず、「刻まれた時間」「時間の売買」といった既製の叙情で円盤を飾り、最終段で主題を二度言い直して自分を赦してしまっていることだ。デビュー作で批判されたはずの癖が、題材を変えてそのまま戻ってきている。
「穴の一つずつが、音符の一つずつなのだ。シリンダーのピンの一本が一つの音符だったように、ディスクの穴の一つずつも、やはり一つの音符なのだ。」
同じことを二文続けて言っています。一度言えば足りる――いや、本当は言わなくていい。エッセイ全体がすでにそれを示しているのだから。直叙の反復は、読者を信用していない証拠です。しかも続く「私は止まった音楽を直す人間として」「円盤の穴を読む観察者になった」で、自分の職業像まで自分で要約してしまう。デビュー作の「観察者になった」をまた使っているのも痛い。同じ判子を別の便箋に押しているだけです。
「円盤に刻まれた時間が、そこで初めて持ち主の手に渡された、と言ってもいいのかもしれない。」
「刻まれた時間」は、円盤に穴が「刻まれて」いることへの安直な掛詞で、生成テキストが時間ものを書くときに必ず出てくる装置です。この職人が本当に円盤を手にしているなら、出てくるのは「時間」ではなく、円盤の重さ、縁の指の切れやすさ、規格を示す刻印の番号のはずです。後段の「コレクションというのは、ある意味では時間の売買なのかもしれない」も同じ病で、抽象名詞「時間」で詩情を安く調達している。具体物で書けるところを、概念で逃げています。
「おそらく当時としては革命的な発明だったのだろうと思う。」「根気のいる、終わりの見えにくい作業のように思う。」「大きな機械ほど、直す前の準備のほうが長くかかったりする。」
修理職人は手の中で確かめて断定する人間です。反りが取れたか取れていないかは、光にかざせば分かる。「〜のように思う」「〜だったりする」で逃げているのは、職人の慎重さではなく、断言を避ける作者の保険に見えます。とくに「革命的な発明だったのだろう」は、交換できる曲という発明の凄みを、自分で「のだろう」と薄めてしまっている。十一年やってきた人間が、自分の扱う機械の歴史をなぜ伝聞調で語るのか。
「持ち込まれる円盤の多くは、曲がっている。床に落としたもの、踏まれたもの、長年立てかけて自重で反ったもの。」
三つ並べているのに、どれも概念どまりです。「踏まれたもの」と書くなら、踏まれた円盤には何が残るのか――足跡の凹みか、穴の縁のめくれか、一点だけ深い谷か。実際に矯正した人間なら、反りには種類があって、種類ごとに押す場所が違うはずです。「高いところを少しずつ押していく」も同様で、どこが高くなるか(外周か、中心の取り付け穴の周りか)を一つ出せば、作業は一気に本物になる。いま書かれているのは、円盤を矯正したことのない人でも書ける一般論です。
「新品の穴は、まだ角が立っている。あと何十年か回されれば、ほかの円盤になじむのだろう。」
ここは本来この稿で一番強い。デビュー作の「継がずに作ったぶん、澄んではいるが、まだ若い音がする。あと十年鳴らされれば、ほかの歯になじむだろう」と同じ着想で、それ自体は職人の核心です。だが「角が立っている」と言ったあとに「なじむのだろう」と留保をかけ、しかもデビュー作とほぼ同じ言い回しで締めている。同じ作者が同じ感慨を二作続けて同じ形で書くと、発見ではなく手癖に見える。ここは音そのもの――新しい穴が爪を掴む瞬間の鋭さ――を一つ、耳で書くべきでした。
「私はまず、本体ではなく円盤を光にかざす。反りか、錆か、爪の摩耗か。」
診断を三択で並べただけで、「鳴らない円盤」を実際にどう切り分けるのかが書かれていません。反りなら音が飛ぶ、錆なら特定の穴だけ死ぬ、爪の摩耗なら高速側で滑る――症状と原因の対応こそが診断の中身のはずです。デビュー作では「三度巻き直して、抜ける場所を特定した」という具体的な動作で耳の仕事を見せていた。今回それがない。「光にかざす」と言うなら、かざして何が見えたかを一つ書かなければ、職業の手つきが絵に描いた餅になります。
「星のひとつひとつが、円盤の穴のひとつひとつと向き合っている。」
美しく響くが、中身がない。「向き合っている」は擬人化で、料理にも建築にも貼れる汎用の詩句です。スターホイールと穴が「向き合う」のではなく、爪が星の谷を蹴って星が一歯ぶん回る――その機械の運動を書けば、擬人化に頼らずに同じ緊張が出る。9枚目の「音符として読む」と合わせて、この段は装置で水増しされています。
残すべきは三つ。爪・星・歯の三段の受け渡し、シリンダー(止まった故障)とディスク(進行形の摩耗)の故障の質の違い、そして復刻した新品の穴の音の鋭さ。削るべきは、「刻まれた時間」「時間の売買」の叙情装置、「〜のように思う」の留保語尾、最終段の二重の主題解説と「観察者になった」の使い回し。改稿では、診断の段で「鳴らない円盤」を光にかざし、症状から原因を一つ言い当てる動作を入れること。復刻の段は感慨ではなく、新しい穴が爪を掴む最初の一音を耳で書くこと。意味は動作と音が運ぶ。説明が運ぶのではない。