タテイシリン(33歳・オルゴール修理職人11年)
シリンダーのオルゴールばかり直してきたが、最近は円盤式の持ち込みが増えてきた。シリンダーは曲が筒に植え込まれていて、一台で一曲か数曲しか鳴らせない。ディスク式は、穴の開いた金属の円盤を差し替えれば、別の曲が鳴る。曲を交換できる、というのはおそらく当時としては革命的な発明だったのだろうと思う。円盤に刻まれた時間が、そこで初めて持ち主の手に渡された、と言ってもいいのかもしれない。
仕組みは、シリンダーとはまるで違う。金属の円盤に、楽譜のとおりに穴が開いている。穴の縁には、裏側に向かって小さな突起――爪が折り曲げてある。円盤が回ると、その爪が「スターホイール」という星形の小さな歯車を引っかけて回す。スターホイールの先が櫛歯を弾いて、音になる。ピンが直接歯を弾くシリンダーと違って、ディスク式は爪と星と歯の、三段の受け渡しで一音が鳴る。
持ち込まれる円盤の多くは、曲がっている。床に落としたもの、踏まれたもの、長年立てかけて自重で反ったもの。金属の円盤は薄いから、わずかに反るだけで爪がスターホイールに届かなくなり、音が飛ぶ。矯正は、平らな定盤の上に置いて、高いところを少しずつ押していく。一気にやれば折れる。鉄の円盤を平面に戻すというのは、根気のいる、終わりの見えにくい作業のように思う。光にかざして、歪みの影が消えるまで、ただ押しては確かめる。
錆びた円盤も来る。表面の赤錆は落とせるが、穴の縁の爪が錆で痩せていると、もう交換するしかない。爪は円盤と一体に打ち抜かれているから、一本だけ作り直すというわけにはいかない。ここがシリンダーと一番違うところだ。シリンダーなら一本のピンを起こせばよかった。円盤は、一枚が一つの単位で生きていて、欠けは円盤全体の問題になる。
スターホイールのほうも摩耗する。星形の先端が、何万回と爪に引っかかれるうちに丸くなる。先が丸まると、爪を掴みきれずに滑る。滑った瞬間が、音の欠けになる。シリンダーの故障は「ピンが寝る」「歯が折れる」という、止まった形の故障だった。ディスク式の摩耗は、回りながら少しずつ掴めなくなっていく、進行形の故障なのだ。星のひとつひとつが、円盤の穴のひとつひとつと向き合っている。
大型のものは、出張で診ることになる。喫茶店の壁に据えられた一抱えもあるホールオルゴールや、記念館の展示品。直径六十センチを超える円盤が、立てた状態でゆっくり回る。これは持ち帰れないから、工具を担いで出かけていく。電源、設置場所、円盤を外す向き、終わってから鳴らして確かめる時間――段取りを先に頭の中で組んでおかないと、現場で手が止まる。大きな機械ほど、直す前の準備のほうが長くかかったりする。
円盤そのものを探す世界もある。本体は無事でも、肝心の円盤が一枚しかない、別の曲も鳴らしたい、という依頼。百年前のディスクが、いまも中古で取引されている。機種ごとに直径も穴の規格も違うから、同じ機械に合う円盤を世界中から探す。曲を集める、というより、合う規格の円盤を集める。コレクションというのは、ある意味では時間の売買なのかもしれない、と思うことがある。
どうしても見つからない曲は、復刻する。現代の機械で、百年前と同じ位置に穴を開ける。元の円盤を採寸し、穴の座標を写し取り、新しい金属板に同じ図面で打ち抜く。出てくる音は、確かにその曲だ。けれど百年ぶんの摩耗がないぶん、爪の立ち上がりが妙に鋭い。新品の穴は、まだ角が立っている。あと何十年か回されれば、ほかの円盤になじむのだろう。
持ち主が「鳴らない円盤」を持ってくる。私はまず、本体ではなく円盤を光にかざす。反りか、錆か、爪の摩耗か。穴の一つずつが、音符の一つずつなのだ。シリンダーのピンの一本が一つの音符だったように、ディスクの穴の一つずつも、やはり一つの音符なのだ。私は止まった音楽を直す人間として、円盤に開いた穴を、ただ音符として読む。あの仕事を続けるうちに、私は円盤の穴を読む観察者になった。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。