成長の、作り替え
子どもの義足は、伸びる体に追いつこうとして、いつも少しだけ遅れている

テガタユウト(36歳・義肢装具士13年)

大人の義足は、合わせてしまえばしばらく使える。体の寸法はそう変わらないからだ。だが子どもの義足は違う。採型をして、ソケットを起こして、調整を終えて、ようやく合ったと思った頃には、もうその子は前より少し背が高くなっている。子どもの義足は、成長を相手にする仕事だ。

作り替えの周期は、その子の伸び方で決まる。よく伸びる時期なら半年、落ち着いていれば一年。私たちは毎回、健側——切断していないほうの脚——の長さを測る。膝の高さ、足の裏から股までの距離。健側が伸びた分だけ、義足の側が置いていかれる。両脚の長さの差を、ミリ単位で帳面につけていく。差が許容を超える前に、次の作り替えの予約を入れる。成長は、嬉しい知らせとしてやってくる。

学校生活のことは、親御さんよりも本人のほうが詳しく話してくれる。体育で何をするのか。跳び箱があるのか、マット運動があるのか、来月に持久走があるのか。種目によって、私が義足の足部やアライメントをどう振るかが変わる。プールの日のことも訊く。義足を外して入るのか、水に入れてよい仮の義足を別に用意するのか、更衣の段取りはどうつけているのか。学校という現場の都合に、道具のほうを合わせていく。

サイズアウトした義足は、それ自体はまだ壊れていない。短くなっただけだ。だから行き先がある。家族が思い出として持ち帰ることもある。初めて立った義足、初めて運動会に出た義足。その小ささを、家の棚に置いておきたいという気持ちは、よく分かる。一方で、まだ使える部品——足部や継手——を必要としている別の子のために、寄贈の仕組みに回すこともある。どちらを選ぶかは、家族が決める。

制度の手続きは、成長より歩みが遅い。子どもの義足には補装具費の公費支給があり、耐用年数や更新の周期が定められている。だが体は、制度の周期を待ってはくれない。前回の支給からまだ間がないのに、もう短い。そういうとき、私たちは更新を待たずに、いまある義足の中で凌ぐ。ソケットの内側にライナーを足して長さを稼ぐ。足部の高さを少し上げる。書類が回るまでのあいだを、調整の技術で繋ぐ。

義足の外側に付ける装飾カバーのことで、本人と親御さんの希望がずれることがある。親は「目立たないように」と言う。肌の色に近い、地味なカバーを望む。だが本人は、ある年齢になると、はっきり「友達と同じがいい」と言いはじめる。流行りのキャラクター、好きな色、きらきらした柄。どこまで本人の希望を聞くか、その見極めが難しい。私は、本人が自分の脚のことを自分で語りはじめた歳を、ひとつの目安にしている。

製作所の奥に、古い型を保管する棚がある。何代も作り替えてきた子の、初診の頃の小さな陽の型が、そこに並んでいる。いちばん小さいものは、私の両手に収まるほどだ。いまその子は、私の肩ぐらいまで背が伸びた。棚の前に立つと、その子のこれまでの伸びが、白い石膏の列になって見える。子どもの成長は、こうして型の大きさとして残っていく。

完成した新しい義足で、その子が一歩を踏み出す。少し背の伸びた目線で、こちらを見る。私が見ているのは、いつものように荷重だ。だが、去年より高くなった視線とすれ違うとき、ほんの一瞬、棚の小さな型のことを思う。子どもの義足は、伸びる体に追いつこうとして、いつも少しだけ遅れている。その遅れを埋めつづけるのが、私たちの仕事なのだ。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。