トダユウゾウ(66歳・元小学校用務員)
鍵束の中で、体育館の鍵は一番大きかった。柄の頭が丸く、軸が長くて、握ると手のひらに重さが残った。職員玄関の鍵は薄い板のような形で、屋上の鍵は短かったが、体育館のだけは古い倉の鍵のような格好をしていた。学校開放の当番が回ってくると、私はその一本だけを先に探り当てて、ほかの鍵を鳴らさないように手の中で握った。
学校開放というのは、夜のあいだ、体育館を地域に貸す仕組みだ。月曜は婦人バレーの会、水曜はバドミントンの愛好会、金曜はまた別のチーム。私は夜七時に鍵を開けて、九時半に閉める。昼間は子どものものだった床が、夜は大人のものになる。同じ床が、昼と夜とで二度使われる。それを知っているのは、たぶん鍵を持つ者だけだった。
夜七時、私は通用門から入って、体育館の重い引き戸を開ける。昼に子どもが上履きで磨いた床が、外灯の薄あかりの中で青白く沈んでいた。スイッチを入れると水銀灯がじりじりと時間をかけて灯る。明るくなるまでのあいだ、暗い体育館の天井で、何かがしんと待っているような気がした。やがて床がいっぱいに照らされると、それはもう昼の体育館とは別の場所になっていた。
玄関の脇に開放利用簿という綴じ込みが置いてあって、利用する会は団体名と人数と退館時刻を自分で書く。私は彼らが帰ったあと、ペンの欄が埋まっているかを確かめてから閉めた。婦人バレーの会の代表はいつも丁寧な字で書き、バドミントンの若い連中は走り書きで、ときどき書き忘れた。誰がどんな字を書くかで、その会の様子がなんとなくわかった。
大人がボールを打つ音は、昼の子どもの音とは違った。バレーのスパイクが床を叩く音は低く、体育館を出て校庭を渡り、職員室のあたりまで届いた。私は校庭の隅で枯れ葉を掃きながら、その音を背中で聞いていた。距離にして五十メートルほど離れても、夜は音がよく通った。昼は子どもの歓声に紛れて聞こえないはずの音が、夜には一つずつ粒になって届いた。
九時半、私は彼らを送り出して、消灯にかかる。水銀灯のスイッチを落とすと、体育館はすぐには暗くならない。灯が落ちきるまでの数秒、床にぼんやりと残光が漂って、それからすっと消える。あとに残るのは、緑色の非常灯だけだ。出口の上で小さく光る、あの非常灯のあかりだけが、夜の体育館に残された明かりだった。私はその緑の中で、忘れ物がないかをもう一度見渡した。
忘れ物はたいてい、シューズだった。壁ぎわのベンチに、片方だけのバドミントンシューズがそろえて置かれていることがあった。持ち主は次の週まで気づかない。子どもの上履きの忘れ物と、大人のシューズの忘れ物は、同じ床の上に、十二時間ずれて残るのだった。私はそれを玄関の棚に上げて、利用簿の隅に「忘れ物・靴一足」と書き添えた。
最後に通用門を閉める。昼に子どもが帰った正門ではなく、夜に大人が出ていく通用門のほうだ。鉄の門扉に南京錠をかけると、かちりと音がして、その日の学校がようやく終わった。門の外から振り返ると、体育館の窓は非常灯の緑をかすかに映していて、昼の校舎とはまるで別の建物のように見えた。
昼は子どもの場所で、夜は大人の場所。同じ屋根の下で、一日に二つの学校があった。その切り替わりの瞬間に立ち会えるのは、鍵を開け、鍵を閉める者だけだ。体育館の鍵が夜に開くことを、子どもたちは知らない。昼と夜で同じ建物が別の建物になることを、鍵を持つ者だけが知っている。それが、用務員という仕事の、ひそかな誇りだったのだと思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。