トキタハルキ(31歳・公園遊具の点検員9年)
点検票の判定欄は三段階だ。可、要観察、不可。半年前、私はあの回転ジャングルジムの欄に、不可と丸を付けた。鉛筆でなく、不可だけは赤で付ける決まりになっている。赤で丸を付けると、その遊具の最後の日が、どこか遠くで決まる。日取りの連絡が役所から回ってくるのは、ずっと後だ。
不可の根拠は、二つの数字だった。回転軸の付け根、新品で肉厚六ミリ、限界が四ミリ。私が当てたノギスは、三・八を指した。それと、基礎を手で揺すったときの動き。柱の頭で五センチ以上動いたら不可、そう線が引いてある。あれは、軽く押しただけで七センチ振れた。子どもが体重をかけて回す力が、九年分、軸と基礎に溜まっていた。
撤去の朝、重機が一台、爪を地面に下ろして止まっていた。アームが回転軸の付け根を掴む。鉄が地面と引き合い、最初の一引きでは抜けない。二度、三度。土がめくれ、根のようなコンクリートの塊が、ずるりと出てきた。半年前、私が小型ハンマーで叩いて、こもった音を聞いた根元だ。澄んだ音なら中は詰まっている。こもった音は、中が空いている。塊の側面に、ひびが斜めに一本走っていた。
フェンスに貼られる説明板には、こうある。「老朽化のため撤去しました」。肉厚三・八ミリも、基礎の七センチも、ひびの一本も、老朽化、の五文字に丸めて隠されている。住民への説明には、それでいい。けれど私の不可は、老朽化ではなく、三・八という数字だった。
跡地は、埋め戻して芝を張ることになった。穴に土を入れ、踏み固めると、まわりより少しだけ平らになる。芝が根づくまでの数週間、そこだけ色が違う。別の遊具を据える公園もあるし、ベンチを一つ置いて終わる公園もある。この公園は、芝にした。何があったかは、芝が覚えていない。
数日後、散歩の年配の方に呼び止められた。「あのジャングルジム、なくなったんですね」。惜しむのは、いつも大人だ。子どもは新しいもので遊ぶ。あの方は、孫を回した日のことを言っていたのかもしれない——とは書かない。私は理由を知らない。ただ、撤去から先に気づくのは子どもではなく、長く通った大人のほうだ、ということを、私はこの九年で何度も見た。
その芝の上に、秋、新しい複合遊具が据えられた。設置の日、私は検収に立つ。同じ点検票だ。ボルトの締め付けをトルクレンチで確かめ、可動部の遊びを指で測り、着地面の厚みを当たる。一通り終えて、判定欄の可に、丸を付ける。半年前に赤で不可を囲んだ手が、今日は黒い鉛筆で可を囲む。手の動きは、半年前と同じだ。止まりも、迷いもしない。違うのは、囲む文字と、芯の色だけだ。
設置の翌朝、私は少し離れた場所に立つ。最初に遊ぶ子を見る位置だ。子どもが新しい遊具におそるおそる近づき、すぐ慣れて、漕ぎ出す。重機のうなりも、ひびの入ったコンクリートの塊も、私はまだ覚えている。覚えたまま、この位置に立つ。不可に赤で丸を付けるのと、可に鉛筆で丸を付けるのは、同じ点検票の、同じ手の仕事だ。今朝も私は、色の違う芝の前を通って、最初の子の走り出しを見に行く。