トキワダイゴ(50歳・遊覧船の船長28年)
十一月の末で運航は終わる。最終便を桟橋に着けて、もやい綱を取り、それから春までこの船は動かない。動かないのだから世話はいらない、と思う人が多い。私もそう思っていた、一年目までは。
週に何度か、私は船を見にいく。最初に見るのはビルジだ。船底にたまる水のことで、雨でも雪解けでも、繋いだままの船にも来る。来ないでくれと思っても来る。たまっていればポンプで抜く。動かない船の底にも、水だけは仕事をしている。
エンジンは、ひと月に一度回す。止めっぱなしのほうが傷むからだ。寒い倉庫から出てきた身体でセルを回すと、最初の一拍は重たく、それから低く落ち着く。誰も乗らない、誰も聞かない音だ。私はその音を、操舵室に一人で聞く。
もやい綱は水位で張りが変わる。冬に下がり、雪解けで上がる。ゆるめば締め、突っ張れば緩める。締めたあと、綱を指で弾く。低い鈍い音が返ればちょうどいい。高く鳴れば締めすぎだ。この音を、私は一年目の冬に先輩から教わって、それからずっと指で確かめている。
塗装は冬の仕事だ。毎年いちばん擦れるのは、桟橋に当たる右舷の喫水線のあたりと決まっている。夏のあいだにそこの塗りが薄くなり、地金が覗いて錆が浮く。塗料の缶は寒い倉庫で固まっているから、ストーブの前で少し温めてから蓋を開ける。刷毛も冷えると毛先が言うことをきかない。動く船には、こんな時間はない。
結氷する年と、しない年がある。結氷する年は、氷が船体を両側から挟んで押す。だから氷が厚くなる前に、船まわりの氷をへりに沿って割っておく。割った氷が夜のうちにまた張る。朝、また割る。空を見上げている暇はない。見るのはいつも水際だ。
船を見ない日は、事務所で電話を取る。「来年はいつからですか」。冬でもその電話は鳴る。雪が積もれば、桟橋までの遊歩道を雪かきする。誰も歩いていない雪に、自分の足跡だけがつく。
三月の終わり、試運転の朝が来る。一冬ぶりにセルを回す。最初の一拍が重く、それから——低く、よどみなく回りはじめる。私は息を止めて、それを聞いている。