トコロアズミ(51歳・活字鋳造職人29年)
年に一度、母型の棚卸しをする。母型は活字の型だ。これがなければ、その文字は一本も鋳られない。棚に並んだ母型の数が、この鋳造所がこれから先に鋳ることのできる文字の、すべての上限だ。新しい母型を彫る会社は、もうほとんど残っていない。だから棚卸しは、在庫を数えているようでいて、本当は、未来に作れる文字を数えている。母型たちは、静かにそこで眠っているように見える。
母型は木箱に収めてある。書体ごと、号数ごとに仕切られた、桐の引き出し。築地体、秀英体、それぞれの五号、七号、初号。引き出しを引くと、真鍮の母型が文字を下に向けて、整然と伏せている。一つ取り出して指で撫でると、彫られた窪みが爪に触れる。文字は、ここでは凹んでいる。鋳込んで初めて、凸になって立ち上がる。母型の棚の前に立つと、私はいつも、まだ生まれていない無数の文字に囲まれているような気がしてしまう。
点検でいちばん難しいのは、引退の判断だ。母型は使えば摩耗する。鉛の湯を毎日流し込まれて、彫りの角が少しずつ丸くなる。摩耗は、母型を見ても分からない。刷り上がりに出る。鋳った活字を試し刷りすると、画の交わるところ——「鬱」の缶のあたり、「藤」の縦画の根——が、わずかににじむ。にじみが出たら、その母型はもう寿命だ。だが、代わりはない。だから私は、にじむと知っていて鋳り続ける母型を、何本も抱えている。引退させたくても、後任がいないのだ。
欠けた文字は、貸し借りで補う。同じ書体の同じ号数の母型を、まだ持っている鋳造所が、全国にぽつぽつと残っている。互いの在庫を、誰が何を持っているか、薄い大学ノートの台帳につけてある。私の字で、相手の屋号と、貸した母型と、返ってきた日付。電話で「おたく、秀英の三号の『曾』、ありませんか」と訊く。あれば送ってもらう。同業者というより、絶滅危惧種同士の、生き残りのネットワークだ。台帳のいちばん新しい行と、いちばん古い行のあいだに、たたんでいった工場の名がいくつも挟まっている。
滅多に注文の来ない文字の母型も、私は捨てない。旧字体、異体字。「邊」と「邉」と「邊󠄄」の書き分け。「𠮷」のように、上が「土」の吉。一年に一度使うかどうかという文字が、引き出しの奥に何百と眠っている。場所も取る。溶かして地金にすれば、よく使う母型の補修にも回せる。それでも捨てないのは、その一文字が、誰かの名前の一文字だからだ。私たちにとっては数百分の一でも、その人にとっては、自分の名前の全部だ。一文字が欠ければ、その人は、自分の名で刷ってもらえない。
廃業した鋳造所の母型を、引き取りに行くことがある。先月も、北のほうの一軒をたたむというので、軽トラで母型を運んできた。主人はもう手が震えていて、引き出しを一段ずつ私の手に渡しながら、これは親父が彫らせたやつだ、これは戦後すぐの、と一つずつ来歴を言った。引き取りは、弔いだった。同時に、その工場の作れた文字が、私の棚で生き延びるということでもあった。弔いと継承が、桐の引き出しの中で、一つになっていた。母型に罪はないのに、置き去りにされた文字たちが、可哀想でならなかった。
それでも、在庫にない一文字に当たる日がある。名刺の注文で、お客の名字の一字が、どの棚を探してもない。先日は、旧字の「髙」のさらに崩れた形だった。台帳の心当たりにも電話したが、出てこなかった。こういうとき、私は正直に言う。この字は、うちでは鋳れません。いちばん近いのは、この字です——と、似た母型で試し刷りした一本を見せる。お客はたいてい、しばらく黙る。それから、これでいい、と言う人と、やはり困る、と言う人がいる。どちらの顔も、忘れられない。
母型の棚は、たぶん、文字の墓場のようなものなのかもしれない。もう注文の来ない文字、刷ればにじむ文字、廃業した工場から流れてきた文字。けれど墓場と違うのは、ここの文字は、まだ鋳れば立ち上がるということだ。眠っているだけで、死んではいない。私は毎年、その眠りの数を数えている。数えながら、いつか自分も、誰かの軽トラに引き出しを渡す日のことを、少しだけ考える。
結局のところ、母型の棚が、この鋳造所の未来の文字の上限なのだ。棚にない文字は、永遠に鋳れない。だから私は、滅多に使わない一文字も、にじむ一本も、引き取った見知らぬ工場の文字も、捨てずに数え続ける。一文字を残すということは、いつか来るかもしれない誰かの名前を、残すということだ。文字に重さがあるなら、その重さは、たぶんここにある。母型の棚は、今日も静かに、未来の文字を抱いて眠っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。