トミナガアキオ(56歳・印刷所の刷版係33年)
刷版係を三十三年やってきた。著者にも読者にも会わない。会うのは、ルーペの下の網点だけだ。だが版を渡したあとの工程の音は、棟ごしに聞こえてくる。窓の外には雨が降っていて、工場には紙とインキの匂いが静かに満ちていた。そのなかで、いちばん奥から響いてくる音がある。断裁機の刃が落ちる音だ。
刷り上がった紙は、最初は大きい。全紙といって、本のページの何ページぶんもが一枚に刷られている。それを折って、束ねて、最後に三方を断裁してはじめて、本の形になる。断裁機は、その束ねた紙を、数百枚まとめて一度に落とす。刃が下りるとき、ドン、という音が腹に響く。私はその音を、印刷所の中でいちばん「終わり」の音だと思っている。
断裁前の本を手にしたことがあるだろうか。折って束ねただけの本は、小口が——背と反対側の、指でめくる側が——つながっている。山折りの頂きがそのまま残っていて、ページが袋のようにつながっている。だから開けない。めくろうとしても、紙が連なっていてめくれない。それはまだ、本の形をした紙の塊にすぎない。
そこへ刃が通る。天、地、小口。上、下、めくる側の順で、三方を断ち落とす。化粧裁ち、という。つながっていた小口が切り離されて、はじめてページがめくれる。断裁されて、本はようやく「めくれる物」になる。刃が一度落ちるたびに、紙の塊が本に変わっていく。その瞬間に立ち会うたびに、私は少し胸が熱くなる。
断裁機には、両手で押さないと刃が下りない安全装置がついている。左右に離れたボタンを同時に押す。片手では絶対に落ちない。なぜなら、刃は人の指など紙と同じに落とすからだ。数百枚の紙を一度に断つ刃の前で、人の手は紙より柔らかい。両手ボタンは、その当たり前の事実の上に立っている。オペレーターは一日に何百回、両手を広げてあのボタンを押す。
断ち落とされた紙の縁は、屑になる。細く長い帯が、断裁機の下に積もっていく。回収して、束ねて、再生に回す。一冊の本の小口を整えるために、その何ミリかは、必ず屑になって出る。本になる紙と、屑になる紙は、もとは同じ一枚だった。屑のほうは、誰にも読まれない。たぶん、それでいいのだろう。
断裁の寸法は、コンマ五ミリの世界だ。仕上がりが天地左右で何ミリ、と決まっていて、束見本——刷る前に同じ紙で組んだ見本——と照らして、断裁幅を合わせる。〇・五ミリ詰めるか、足すか。詰めすぎれば文字が小口に近づきすぎ、足せばノドが詰まる。読者はそんなミリのことを知らない。けれど、手にしたときの収まりのよさは、そのミリが決めている。
刃は、使えば鈍る。周期で研ぎに出す。鈍った刃で断つと、小口がわずかに毛羽立つ。研ぎたての刃は、紙の断面を鏡のように平らに落とす。読者が本の小口に指を当てるとき、そこには刃が通った跡がある。研ぎの周期も、コンマ五ミリの調整も、両手ボタンを押した誰かの手も、その断面の中にある。けれど、誰も気づかない。気づかれないことが、たぶんこの仕事の本分なのだと思う。
今日も、棟の奥で刃が落ちる音がする。ドン、ドン、と腹に響く。あの音は、紙の塊が本になる音だ。終わりの音のようでいて、本にとってはいちばんの始まりの音——断裁の音は、本の産声なのだ。私は版を渡しただけの人間だが、あの音を聞くたびに、自分の焼いた版が、いま本になっていくのだと思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。