色校の、戻り
刷版係一年目、言葉を数値に訳すと決めるまで

トミナガアキオ(56歳・印刷所の刷版係33年)

刷版係を三十三年やってきた。本になる前の、いちばん最後の関門に立つ仕事だ。著者にも、読者にも、私は一度も会わない。私が見るのは原稿ではなく、ルーペの下の網点だけだ。それでも、人の書いたものが紙に乗る瞬間に立ち会えるのは、悪くない場所だと思う。

刷版係というのは、デザイナーや編集者が作ったデータを、実際に紙に刷るための版にする係である。色は四つしかない。シアン、マゼンタ、イエロー、ブラック。CMYK。この四色の網点を、何パーセントずつ掛け合わせるかで、世の中のほとんどの色が出る。空の青も、肌の色も、赤字の赤も、すべてこの四つのパーセントの足し算引き算でできている。

一九九三年の春、私は二十三歳で、刷版係の一年目だった。朝早く出社すると、輪転機の音が工場じゅうに響き渡り、インキの匂いが鼻をついた。先輩たちはみな無口で、ルーペを目に当てたまま、何時間でも版を睨んでいた。私はその背中を見ながら、いつか自分もああなるのだろうかと思っていた。

ある日、出版社から色校正——色校、と私たちは呼ぶ——が戻ってきた。試しに刷った一枚に、依頼主が赤字で直しを入れて返してくるものだ。その赤字を見て、私は固まった。写真の脇に、こう書いてあった。「もう少し沈めて」。沈めて。数値ではなかった。何パーセント上げろでも下げろでもない。沈めて、とだけ書いてあったのだと思う。

私には意味がわからなかった。沈めるとは、暗くすることなのか。彩度を落とすことなのか。それとも何か、もっと別のことなのか。隣で同じ色校を覗き込んでいた先輩は、ルーペを置いて、少し考えてから言った。「ブラックを五、足しとけ。あとマゼンタを三抜け」。それだけだった。先輩はその一言を、どこから割り出したのだろう。

言われた通りに版を直して刷ってみると、たしかに写真は「沈んだ」。最初の刷りはどこか浮ついて、安っぽく見えていた。それがブラックを五足してマゼンタを三抜いただけで、落ち着いた、品のある一枚になった。先輩は「沈める」という三文字を、CMYKの数値に翻訳したのだ。私はそのとき初めて、この仕事の正体を見た気がした。

それから私は、戻ってくる色校の赤字を集めるようになった。「もう少し温かく」。これはイエローとマゼンタを少し足す。「上品に」。これは彩度を抑えて、墨を効かせる。「肌をきれいに」。これがいちばん難しくて、マゼンタの入れ加減を一パーセント刻みで何度も試した。デザイナーの頭の中にある言葉と、DICの色見本帳の番号と、網点のパーセントのあいだを、私は行ったり来たりするようになった。曖昧な言葉を正確な数値に訳す。それが私の仕事になっていったのだと思う。

やがて時代が変わった。フィルムを使わず、データから直接版を作るCTPという技術が入り、色の再現はずいぶん安定した。湿し水の加減で刷りが変わることも減った。機械は賢くなった。けれど、「沈めて」を数値に訳す仕事だけは、いまも人間の側に残っている。機械は「沈めて」を知らないからだ。

三十三年、私は曖昧な言葉と正確な数値のあいだに立ち続けてきた。著者にも読者にも会わないまま、本の物理だけを支えてきた。あの春の色校の、赤い「沈めて」の三文字が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日も色校が戻ってくる。私はルーペを目に当て、誰かの言葉を、四つの数字に変えていく。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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