核は強い。「同じ版をもう一度」という現場の身も蓋もない実感、奥付の一文字だけを差し替える手の動き、初版と第二刷を指で挟んだときのわずかな厚みの差、そして祝報が納期に姿を変える温度差。この四点で一本立つ。問題は、書き手がその四点を信用しきれず、匂いの書き割りで場面を起こし、留保語尾で逃げ、最終段で「第二の人生」と主題を直叙して全部を回収してしまっていることだ。とりわけ惜しいのは、数値で生きてきたはずの刷版係を語り手にしながら、肝心の差異が「わずかに違う」止まりで、数字に落ちていないこと。職業エッセイは、職業の手つきで嘘をつくと全部が嘘に見える。
「重版とは、本にとっての第二の人生なのだ。私は今日も、その第二の人生のために、奥付の一行を、そっと書き換えている。」
エッセイの主題を、自分で標語にして貼って終わっています。「本にとっての第二の人生」は、どの出版エッセイの帯にも刷れる汎用コピーで、トミナガアキオである必然がない。しかも本文がさんざん「現場には納期として届く」と冷たく書いてきたのに、最後だけ「第二の人生」と温めて自己赦ししている。読者に渡すべき余白を、作者が先に埋めてしまっている。「そっと書き換えている」の「そっと」も、情緒を足すための副詞で、刷版の手つきではない。
「朝、工場に着くと、インキの匂いが静かに満ちていた。」
匂い、静けさ。「静かに満ちていた」は、文学的な職場を安く調達する既製の叙情装置です。デビュー作でも同じ手で部屋を立ち上げており、二作続けて「匂いが満ちる」で入るのは手癖。三十三年その工場にいた人間が朝に最初に感知するのは、たぶん匂いではなく、輪転機がもう回っているか、回す班の人数か、指示書の山の高さです。雰囲気が人物より先に立っている。
「気のせいかもしれない。気のせいではないのかもしれない。」
刷版係は、色を数値で締める職業です。一パーセント刻みで刷り出しを取り、合うか合わないかを決める。その人物が初刷りと二刷りの黒について「気のせいかもしれない/気のせいではないのかもしれない」と両手を上げるのは、繊細さの演出ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。本当にこの語り手なら、見本帳の番号に当てて、ずれているのか合っているのかを言うはずです。続く「そういう僅かな違いに気づくのは、たぶん現場だけだ」の「たぶん」も同じ逃げ。
「似た坪量の、別の銘柄に替える。読者は気づかない。著者も気づかない。けれど初版と第二刷を並べて指で挟むと、ほんの少しだけ厚みが違う。」
「ほんの少しだけ厚みが違う」は概念であって観察ではない。坪量という語を出した以上、この語り手なら数字で言えるはずです——初版は四六判七十二キロ、重版は手に入らず七十キロに替えた、束見本で○ミリ詰まった、と。紙を替えれば総ページの厚み(束)が変わり、背幅が変わり、最悪カバーが合わなくなる。そこまで現場は知っている。「指で挟むと厚みが違う」で止めるのは、知っているふりだけして、職業の具体を出していない。銘柄の名前が一つも出てこないのも痛い。
「同じ一冊の本をめぐって、喜んでいる人と、納期を数えている人がいる。その温度差のあいだに、私の版がある。」
その直前に「祝いの報せが、こちらに着くころには、ただの締め切りに姿を変えている」と、もう書けています。場面で出した温度差を、すぐ後ろで「喜んでいる人と、納期を数えている人がいる」と要約し直し、さらに「温度差のあいだに私の版がある」と図解する。同じ内容を抽象語で三回言い直すたびに、最初の一行の値打ちが下がる。エッセイの構図を構図として書いたら、それは設計図であってエッセイではない。
「そこに「第一刷」と入っている一行を、「第二刷」に差し替える。版面のほとんどはそのまま、その一行の、たった数字の一文字だけを直す。」
ここがこのエッセイの一番効くはずの場所なのに、手つきが甘い。「第一刷」を「第二刷」にするのは「一」を「二」にする一文字差し替え——のはずが、刷版の実際では、文字を直すのは版そのものの作り直し(出力し直し)であって、原稿の文字を消しゴムで消すような「直す」ではない。データのどの文字を打ち替え、墨版だけ再出力する、という工程が一行あるだけで嘘が消えます。さらに「たった一文字」と言いながら、後段で「墨の版だけ作り直して、あとの三色は使い回す」と書いている。それなら強調すべきは「一文字のために、墨版を一枚まるごと焼き直す」という不均衡のはずで、そこに現場の可笑しみがある。装置をいちばん効く場所で使い切れていない。
「同じ版をもう一度焼きながら、私はいつも思う。」
この「私はいつも思う」は、教師の回想にも職人の回想にもそのまま置ける接続です。「いつも思う」中身を、版を焼く手の動きの中に埋めなければ、思考は存在しないのと同じ。半年前の自分が作った版を開いて何も変わっていない、という前段の発見はいいのに、結びでまた「いつも思う」と一般論へ離陸してしまう。地面(版・奥付・紙)に留まったまま終わらせるべきです。
残すべきは四つ。半年前の自分の版を開いて「何も変わっていない」と気づく一瞬、奥付の数字一文字のために墨版を一枚焼き直す不均衡、初版と第二刷の紙の銘柄が替わったことを示す具体的な数字、そして祝報が納期に化けて届く温度差。削るべきは、冒頭の匂いの書き割り、「かもしれない/たぶん」の留保、温度差の三重の言い直し、そして最終段の「第二の人生」という直叙。改稿では、紙を銘柄と坪量の数字で押さえて職業の具体を立て、奥付の差し替えは「一」を「二」にするためだけに墨版を焼く動作で書いてください。意味は版を焼く手が運ぶ。標語が運ぶのではない。