重版の、版
売れた本が、現場に戻ってくるということ

トミナガアキオ(56歳・印刷所の刷版係33年)

刷版係を三十三年やってきた。本になる前の、いちばん最後の関門に立つ仕事だ。著者にも、読者にも、私は一度も会わない。私が見るのは原稿ではなく、ルーペの下の網点だけだ。それでも、人の書いたものが紙に乗る瞬間に立ち会えるのは、悪くない場所だと思う。

朝、工場に着くと、インキの匂いが静かに満ちていた。事務から一枚の指示書が回ってきて、見覚えのある書名が書いてあった。半年前に刷った本だった。重版、と欄に書いてある。売れたのだ。営業も編集も、きっとどこかで喜んでいるのだろう。私の手元には、納期だけが届く。

重版がかかると、私たちは初版のデータを引っ張り出してくる。サーバーの奥に、版下のデータがそのまま眠っている。半年前の自分が作った版だ。開いてみると、何も変わっていない。シアン、マゼンタ、イエロー、ブラックのパーセントは、あの日のままだった。私は同じ版を、もう一度焼く。売れた本というのは、現場にとっては「同じ版をもう一度」の仕事なのである。

ただ一か所だけ、必ず直すところがある。奥付だ。本のいちばん後ろの、発行日や著者名が小さく並んだあのページ。そこに「第一刷」と入っている一行を、「第二刷」に差し替える。版面のほとんどはそのまま、その一行の、たった数字の一文字だけを直す。墨の版だけ作り直して、あとの三色は初版のものを使い回すこともある。本一冊のうち、私が新しく触れるのは、その一文字だけ、ということもあるのだ。

紙が変わることがある。これは現場にしかわからない。初版のときに使った銘柄が、重版のころには資材の都合で手に入らない。似た坪量の、別の銘柄に替える。読者は気づかない。著者も気づかない。けれど初版と第二刷を並べて指で挟むと、ほんの少しだけ厚みが違う。手に取った重さが違う。同じ本のはずなのに、別の本のような顔をしている。

インキも、ロットが変われば微妙に違う。前のロットの墨を使い切って、新しい缶を開ける。色見本に合わせて調整するから、刷り上がりはそろう。それでも、現場にいる人間の目には、初刷りと二刷りの黒が、わずかに違う黒に見えることがある。気のせいかもしれない。気のせいではないのかもしれない。そういう僅かな違いに気づくのは、たぶん現場だけだ。

重版の部数は、たいてい初版より少ない。初版が五千なら、重版は三千、二千と刻んでいく。営業からは「とにかく早く」と来る。重版の知らせは、向こうにとっては祝いの報せだが、こちらに着くころには、ただの締め切りに姿を変えている。同じ一冊の本をめぐって、喜んでいる人と、納期を数えている人がいる。その温度差のあいだに、私の版がある。

何十刷も重ねる本もある。私が三十三年のあいだに、十刷、二十刷と差し替えてきた奥付の数字は、その本が世の中に受け入れられてきた歴史の目盛りのようなものだ。著者がそれを知っているかはわからない。読者はなおさら知らない。版の歴史を、私は機械の隣で、ひとり数えてきた。

同じ版をもう一度焼きながら、私はいつも思う。本は、刷られて終わりではない。売れた本は、また現場に戻ってくる。重版とは、本にとっての第二の人生なのだ。私は今日も、その第二の人生のために、奥付の一行を、そっと書き換えている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。