洋上の、塔(第二稿)
陸の塔を十五年登った男が、海の上に出向した

トオミネリツ(37歳・風力発電のメンテナンス15年)

陸の塔へは、車で行って、足で登る。去年の春、私は洋上の現場に出向になった。海の塔へは、船で行く。そして船は、塔の足元で止まらない。うねりの中で上下に揺れ続ける船の舳先から、風車の脚の梯子へ、跳び移る。陸では十五年、一度も思わなかったことを、海では毎朝思う。足の下に、地面がない。

移乗、と呼ぶ。船首を風車の黄色い防舷材に押し付け、船長が推力をかけて船を押さえる。それでも船は波の分だけ上下する。私はフックを片手に、梯子の桟が目の高さまで上がってくる一瞬を待つ。船が波の頂点で止まる、その間。半秒もない。そこで跳ぶ。早ければ脛を桟に打ち、遅れれば足が梯子に届かない。十五年、地面に立てた梯子しか登ってこなかった私の足は、最初の一週間、その半秒をつかめなかった。

その半秒は、波で決まる。陸の塔は風で登る登らないが決まるが、洋上は風の前に波だ。波高一・五メートルを超えると、移乗は中止になる。一・五メートルとは、船首が私の背丈ほど持ち上がっては落ちる高さで、梯子の桟は数秒に一度しか目の高さに来ない。中止が出た朝は、港の詰所で出航の判断を待つ。風はまだ穏やかで、それでも沖のうねりが残っているというだけで、船は寄せられない。風で電気をつくる仕事が、風ではなく、引きずられたうねりで止まる。

塩は、陸では知らない速さで鉄を食う。陸の塔なら数年もつボルトの頭が、ここでは一年で赤茶ける。増し締めにレンチをかけると、固着した頭の上で歯がわずかに滑る。陸なら平気で効いたトルクが、塩で固まった海のボルトでは、同じ角を舐めにいく。私は力を逃がし、潤滑を吹いて、待つ。同じ機械、同じ作業の、同じ一本のボルト。陸と海の違いは、この一本に全部出る。

沖の風車群の点検が数日続くときは、宿泊設備のある船に泊まる。揺れる食堂で飯を食い、揺れる寝床で眠る。夜、灯を消してからも船は静かに上下していて、私は天井の非常灯の緑を見ていた。陸の家の布団は、こんなふうに私を持ち上げては下ろしたりしない。隣の寝床のいびきと、船体のどこかが軋む音。その晩は、それを数えているうちに寝た。

ナセルの屋根には、ヘリから降ろされるロープを受ける区画がある。塔の上で誰かが倒れても、海では救急車は来ない。年に一度、私はその区画の受け金具に錆がないかを確かめる。海の塩は、いざという日の金具も等しく食うからだ。一度も使ったことはない。使う日のために、塩を拭き、ボルトを締め直す。陸の塔には、ない仕事だ。

機械室に入ってしまえば、増速機の唸りも、グリスの色を見る手つきも、陸とほとんど変わらない。違うのは、そこへ辿り着くまでだ。船で渡り、半秒で跳び、固着したボルトと向き合い、うねりに帰路を断たれる。陸では風だけを聞いていればよかった私の耳は、海では波の音も聞き分けはじめている。

数日の出向を終えて陸に戻った日、港に降り立った私は、よろけた。地面が、揺れていない。船の上で体が覚えた上下の揺れを、コンクリートは返してこない。揺れない地面の上で、私の体だけが、まだ揺れていた。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。