核は強い。管の内壁に開いた「土を吸う穴」、レーダー車とカメラで一点を挟み撃ちにする手つき、ニュース映像の穴の形から管の走りが読めてしまう職業的な目、そして「防いだ陥没は数えられない」という宿命。この四点で一本立つ。問題は、書き手がその核を信用せず、冒頭で「見えない脅威が育っている」と煽り、最終段で主題を自分の口で解説して締めていることだ。デビュー作の「管の、中」が動作と数字で押した語り手なのに、本作では一般向けの解説と叙情に逃げている箇所が多い。せっかく地下を覗ける目を持つ人物なのだから、見えたものだけで勝負すべきだ。
「防いだ陥没は、数えられない。起きなかったことは、証明できない(中略)誰にも気づかれない場所で、誰にも気づかれない災いを、誰にも気づかれないように防いでいく。」
主題そのものを、主題文として書いてしまっています。「数えられない」「証明できない」は強い核なのに、その直後で「気づかれない/気づかれない/気づかれない」と三連で言い直し、自分で噛み砕いて読者に手渡している。これは余韻の偽装です。読者が自分で気づくべき結論を、作者が先に板書してしまっている。核は提示するだけでいい。意味づけは読者の仕事です。
「地下では静かに、見えない脅威が育っている。」
「静かに」「見えない脅威」は、防災ドキュメンタリーのナレーションの常套句で、生成された“それっぽさ”の典型です。十八年カメラを降ろしてきた人間が本当に怖いと思うのは、抽象的な「脅威」ではなく、内壁の穴の縁にこびりついた土の色や、流れの色が変わる一点のはずです。脅威を語るな、脅威の現物を見せろ。あなたはそれを見られる数少ない人間なのだから。
「準備が進んでいたのだと思う。」「継ぎ目あたりが抜けたのだろうと見当がつく。」「少しさみしい見え方かもしれない。」
この語り手はランクを判定し、原因を断定して報告書に書く職業です。デビュー作では「ここから吸ってる、と画面を見れば分かる」と断言できていた。それが本作では「思う」「だろう」「かもしれない」で薄まっている。とくに「準備が進んでいたのだと思う」は、空洞の成長過程を熟知しているはずの人物の口調ではない。留保は、断言を避ける作者の保険に見えます。見えているなら、見えていると書く。
「空洞はもう車道の幅いっぱいに広がっていて、天井のアスファルトは数十センチしか残っていなかったらしい。」「あの上を、毎朝通学路として子どもたちが歩いていた、と後で聞いた。」
いちばん効くはずの「あと一年遅ければ」の現場が、「らしい」「後で聞いた」と伝聞で処理されています。冷や汗をかいたのは語り手自身のはずなのに、その瞬間に画面で何を見たのかが書かれていない。穴の径は何センチだったのか、レバーを握る手は止まったのか、報告書にどう書いたのか。見た人間にしか書けない一点が抜けて、概念の「危機」だけが残っています。
「土が抜けた分、道路の下に空洞ができる。空洞は雨のたびに、車の重みのたびに、少しずつ大きくなっていく。」「更生工法といって、傷んだ管の内側に新しい樹脂の管を作り、内側からひと回り若い管に生まれ変わらせる。」
仕組みの解説が、教科書か広報パンフの文体になっています。これはエッセイではなく説明です。更生工法のくだりも、語り手の体に通った言葉ではなく、用語の定義になっている。あなたが書くべきは「カメラで見た、つるりとした新しい内壁に、土を吸う穴がもうどこにもなかった」という観察一点で、定義はいらない。仕組みは現場の描写の中ににじませればよい。
「レバーを止めて、私はしばらくその穴を見ていた。」
デビュー作の批評でも同型が指摘されたはずの「しばらく〜していた」が、また出ています。見ていた中身——穴の径を頭の上の空洞と引き比べたのか、何ヶ月で広がったかを逆算したのか、通学路を思い浮かべたのか——を書かなければ、人物の思考は存在しないのと同じです。「しばらく見ていた」は、教師にも整備士にも置ける空欄です。
「地上と地下から、同じ一点を挟み撃ちにするわけだ。」
レーダー車との連携は本作いちばんの強みなのに、比喩の「挟み撃ち」で要約して終わっています。実務なら、レーダーの結果図のどの印を見て、どの区間のマンホールを先に開けると決めたのか、判断の順番があるはずです。デビュー作で評価されたのは「ランクの数字ではなく、それを数える順番」を書けたことでした。本作でも、挟み撃ちの段取りを一手だけ具体に書けば、手つきが嘘でなくなります。
残すべきは四つ。管の内壁の「土を吸う穴」(縁の土、流れの色の変化まで)、レーダーの結果図から優先区間を決める判断の一手、「あと一年遅ければ」の現場で語り手自身が画面に見た径の数字、そしてニュース映像の穴の形から管の走りが読めてしまう目。削るべきは、冒頭の「見えない脅威」の煽り、留保語尾、仕組みの教科書的解説、そして最終段の三連の主題解説。改稿では、「防いだ陥没は数えられない」を作者が言い直さず、たった一つの埋め戻した穴を見せて読者に数えさせること。意味は、見えたものが運ぶ。解説が運ぶのではない。