トネリアスカ(46歳・索具職人23年)
月に何度か、漁協を回る日がある。工場のワイヤーは七年もつが、漁港のは半分も使えば駄目になる。塩水を浴び続けて、芯から錆びるからだ。だから漁港は、点検の間隔が短い。私は陸の現場より早く、まだ氷の匂う岸壁に着く。
まず舫いを見る。船を岸壁につなぐロープは、いつも同じ一点から傷む。船べりの角と、岸壁のビットの縁。波で船が上下するたび、ロープがそこを行き来して、表が毛羽立ち、芯まで擦り切れる。三号の船の舫いは右舷の艫が先に切れる。五号は舳の一本だ。船が違えば擦れる場所が違い、私はその一点を指でなぞって、あと何往復もつかを見立てる。
持ち込まれる漁具を直す。巻き上げ機のワイヤー、網を吊る綱、揚げ機の玉掛け。手で送ると、付け根が赤さびを噴いて、素線が指に刺さる。陸の工場のワイヤーは摩耗で平らに減る。漁港のは、減るより先に錆びて折れる。同じ鉄でも、塩水の下では死ぬ場所が違う。私は刺さった本数を数え、一よりの基準と照らす。
時化の日は、作業場が埋まる。海が荒れて出られない日、漁師は船を上架して、後回しにしていた漁具を一気に持ち込む。巻き上げのワイヤーと網の綱で、足の踏み場がない。出られない日にしか直せない、と彼らは言う。私は順に手を動かす。時化が続けば現金が入らない。だから彼らは、出られる日に一円も払いたくない。
そこで線を引く。応急は、擦れた舫いの傷んだ一節を切って、両端を編み直してつなぐ。半日もたない仕事だが、今日の一航海はもつ。本修理は、舫いを丸ごと新しい一本に替える。漁師は応急の値で、本修理の安心を欲しがる。私は切れかけた素線を一本、指で立てて見せる。「ここは、当て布では止まらない」。それで本修理になる船もあれば、応急で出ていく船もある。札を切るのは、私ではない。
船ごとに編み方が違う。三号の船頭はアイを大きく取れと言う。五号は短く詰めろと言う。巻き上げのワイヤーの太さも、止め金具の向きも、船で違う。二十三年、同じ船を回っていると、顔を見れば手が先に動く。三号の舫いを編むとき、私はもう右舷の艫を大きめに取っている。あの一点が先に切れると知っているからだ。
夜明け前に電話が鳴る。「今日出たいんだ」。時化が明けて、久しぶりに凪いだ朝。私は道具箱を提げ、まだ暗い岸壁へ行く。三号の右舷の艫を握ると、芯が硬い節になっている。キンクだ。当て布では止まらない。私は舫いを一本、新しいのに替える。出るまでの一時間で、替えられるのはこの一本だけだ。残りは指で送って、刺さらないのを確かめ、次でいいと言う。握って節があれば、今日は出すなと言う。今朝は、出した。