改刻の、注文
姓が変わるとき、判子はどうなるか

トヨシマヒデオ(61歳・印章店三代目)

春先の、やわらかな光が差し込む店先で、若い女の人が「結婚して、姓が変わったんです」と言った。こういう注文を、私はもう何百と受けてきたように思う。人の名前を彫って生きてきた者にとって、姓が変わるというのは、ただの事務ではない。その人の名前そのものが、入れ替わる瞬間なのだ。

姓が変わる人の注文には、二通りある。新しい姓で実印を作り直す人と、下の名前だけで作る人だ。「名前なら、これから先も変わりませんから」と、下の名前で頼む人は言う。たしかにそうだ。離婚しても、また結婚しても、下の名前は動かない。私はそういう知恵を、聞かれたときだけ言うことにしている。こちらから勧めるのは、商売としては正しくないのかもしれない。

判子は、彫り直せない。ここを勘違いされる方が多い。「鈴木」を「佐藤」に直してください、と言われても、それはできない。文字を一画でも足せば、別の印になる。改刻、という言葉を使って説明するが、改刻とは結局「作り直す」ことだ。古い印面を削って彫り直したものは、もう前の印鑑ではない。名前が変わるとき、判子は印材ごと、まるごと新しくなるしかないのである。

改刻の見積もりを出すと、たいていの人は少し驚く。直すだけなのにどうして、という顔をされる。私は彫り直せない理由を、なるべく丁寧に話す。印鑑というものは、その人ひとりの意思の証だから、半分が前の名前のままでは証にならない。役所も、半分だけ変わった判子は受け付けない。印鑑登録の廃止と、新しい印の再登録の案内の紙を、私はいつも見積もりに添える。

離婚で旧姓に戻る人の注文は、たいてい言葉少なである。窓の外には冷たい雨が降っていて、その人はうつむいたまま、新しい姓を——いや、戻った姓を、小さな声で言った。私は理由を聞かない。聞いてはいけないことくらい、三十八年もこの仕事をしていればわかる。ただ、印材は何にしますか、とだけ訊いた。

もう一つ、増えた注文がある。古い実印の持ち込みだ。「これ、どうしたらいいですか」と、使わなくなった判子を、布に包んで持ってくる。亡くなった親のものだったり、姓が変わって使えなくなった自分のものだったり。私は奥から印章供養の箱を出してくる。年に一度、神社で焚き上げてもらう、古いしきたりだ。名前を彫られたものを、ただゴミに出すのは忍びない、という人の気持ちが、その箱にはいつも詰まっている。

供養の箱に入れる前に、私はその印面を、いちど手鏡に映してみることにしている。誰かが一生使った名前が、逆字のまま、鏡の中でまっすぐ立っている。この名前で、家を買ったのかもしれない。子を成したのかもしれない。誰かを見送ったのかもしれない。判子は、その人の節目に、ずっと立ち会ってきたのだ。

銀行印を下の名前で作っておく、という知恵を、私は今日も聞かれたときだけ言った。女の人は少し考えて、「じゃあ、下の名前でお願いします」と言った。これでこの人は、次に何があっても、もう判子を作り直さなくていい。私はそう思いながら、印床に印材を固定した。

名前が変わるたびに、人は判子を作り直す。改刻という言葉のとおり、古い名前を削り、新しい名前を刻む。判子は、その人の名前の人生の、節目を刻むものなのだ。彫刻刀の音は、今日も店の奥で静かに響いている。私は、人の名前が変わっていくのを見届ける仕事を、たぶんずっと続けていくのだろう。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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