核は強い。原料屋の「今年は固いです」という電話一本、廃業を知らせるはがきの「永年のご愛顧、ありがとうございました」、そして痩せた斜面に向かって上のほうへ立つ櫨の木。この三点で一本立つ。固い年の蝋が溶ける温度を上げ直す手当ても、職業の手つきとして信用できる。問題は、書き手がその具体を信用せず、甘い匂いの書き割りで場面を立ち上げ、最終段で「答えの出ない問いなのだ」と主題を直叙して全部を回収してしまっていることだ。職人は順番を間違える話を書いていながら、最後に自分でその順番を解いて見せてしまう。それは職人の沈黙ではなく、作者の説明だ。
「窓の外には季節の移ろいがあり、工房には植物の脂の甘い匂いが静かに満ちていて、その匂いの向こうで、私はいつも遠い産地の山のことを考えている。」
「季節の移ろい」「甘い匂いが静かに満ちて」——これは前作「寺の、注文」の第一稿で一度叩かれたのと同じ書き出しの判子です。二十四年この鍋の前にいる人間から出てくるのは、「甘い匂い」という観光客の言葉ではなく、固い年の蝋が立てる煙の匂い、晒しの足りない蝋に残る青臭さのはずです。匂いを抽象名詞で済ませた瞬間、語り手はその場所にいなくなる。
「原料の出どころが、また一つ、世界から消えたのだった。」
「また一つ、世界から消えた」は、滅びゆく職人もの記事の見出しに必ず付く既製のラベルです。コクがあるように聞こえて、何も見ていない。はがきを手に持っていた、という直前の動作のほうが百倍効いているのに、そこへ「世界から消えた」と注釈を貼って台無しにしている。製蝋所が消えるとは、具体的には、来年その電話番号にかけても誰も出ない、という事実のはずです。抽象の弔辞ではなく、その不通を書くべきです。
「混ぜない一線を、いまのところは、守っている。」/「私たちはみな、見えない誰かの手の続きを生きているのだと、いまでは思う。」
蝋の機嫌を指一本で決める職人が、自分の一線を「いまのところは」と保険つきで語るのは弱い。混ぜないなら混ぜない、と言い切ってよい。迷いを書きたいなら、語尾でぼかすのではなく、パラフィンの見積書を一度だけ取り寄せて引き出しに入れてある、というような動作で書くべきです。「いまでは思う」も同様で、断定を避ける作者の手癖が、職人の口に乗り移っている。
「秋には葉が燃えるように赤くなるのだと、案内してくれた人が言った。」
「燃えるように赤く」は、行かなくても書ける紅葉の常套句です。しかもこの語り手は、訪ねたのが秋ではないらしく、その赤を自分の目で見ていない。見ていないものを伝聞の美辞で埋めるより、その日その斜面で自分が実際に見たもの——実の付き方、木の幹の細さ、搾る前の実の色や粒の大きさ——を一つ出すほうが、出どころを見た一日として残ります。この人物が見るべきは紅葉ではなく、自分の蝋になる前の実です。
「原料が先か、職人が先か。それは、伝統というものが必ず突き当たる、答えの出ない問いなのだ。」
致命的なのはここです。その一つ前の段落で「原料が先か、職人が先か。私にはその順番が、どうしても決められないでいる」と、すでに完璧に書けている。決められない、で止めるのが職人の沈黙です。それを次の段で「伝統というものが必ず突き当たる問いなのだ」と一般化した瞬間、一人の和ろうそく職人の個人的な行き詰まりが、誰でも言えるコラムの結語に痩せる。問いは、答えずに置くから問いなのです。第8段(「見えない誰かの手の続き」の段)はまるごと削ってよい。
「その長い列のどこか一つが欠ければ、炎は消える。」
この一文は、農業の記事にも、酒蔵の記事にも、そのまま貼れる「サプライチェーン」の比喩です。和ろうそくである必然がない。本当に書くべきは、廃業した製蝋所の蝋がもう手に入らないと、来年の固い年に誰の蝋で代わりを取るのか、という具体の不安のはずです。比喩で締めると、固有名のあった話が一般論に溶ける。
「『今年は固いです』。短い言葉だが、私はその一言で、これから一年の手当てを組み直すことになる。」
導入は良いが、肝心の「組み直し」が、第3段の温度の話と切り離されて宙に浮いています。固いと聞いた職人がまずやるのは、去年の塊と今年の塊を並べて、爪で同じ力で削って、固さの差を指で確かめることのはずです。電話の一言と、手が実際に動く最初の一手を地続きに書けば、「年で性質が違う」が概念ではなく動作になる。職業エッセイは、手が動く順番を正確に書けたときだけ本物に見えます。
残すべきは四つ。「今年は固いです」の電話と、それを受けて去年の塊と今年の塊を削り比べる手、廃業のはがきの一文、痩せた斜面に上へ向かって立つ櫨の木、そして「原料が先か、職人が先か、決められないでいる」という行き止まり。削るべきは、甘い匂いの書き割り、「世界から消えた」の弔辞、「いまのところは」「いまでは思う」の留保語尾、紅葉の常套句、そして主題を直叙する最終二段。改稿では、問いを答えずに置いて終わること。決められない、で筆を止めれば、読者がその順番を考える。考えるのは作者の仕事ではなく、読者の仕事です。