ツボイレンジ(46歳・和ろうそく職人24年)
櫨蝋(はぜろう)は、櫨の実から採れる。窓の外には季節の移ろいがあり、工房には植物の脂の甘い匂いが静かに満ちていて、その匂いの向こうで、私はいつも遠い産地の山のことを考えている。実を搾り、晒して、白くしたものが、私の手もとに塊で届く。芯に掛けて太らせる、あの蝋だ。
原料屋から電話が来るのは、たいてい秋の終わりだ。「今年は固いです」。短い言葉だが、私はその一言で、これから一年の手当てを組み直すことになる。櫨蝋は、実る年によって性質が違う。同じ「白」と呼ばれる蝋でも、年によって溶け方が違う。やわらかい年もあれば、固い年もある。原料屋は、それを電話の一言で知らせてくる。
固い年の蝋は、溶ける温度が高い。例年なら六十度を少し越えたあたりで掛けやすくなるのに、その年は二度、三度と上げないと、芯に乗る肌にならない。上げすぎれば煙を吐く。私は鍋に指を浸して、固い年の蝋の機嫌を、最初の数日で覚え直す。指は毎年、同じ場所がひび割れる。蝋が違えば、覚え直しもまた一からだ。
その産地が、痩せている。櫨の木を新しく植える人が減り、実を搾る製蝋所も、一軒また一軒と店を閉じていく。去年の冬、長く付き合った製蝋所が廃業するという知らせが、はがき一枚で届いた。「永年のご愛顧、ありがとうございました」。それだけだった。私はそのはがきを、しばらく手に持っていた。原料の出どころが、また一つ、世界から消えたのだった。
一度だけ、産地を訪ねたことがある。櫨の木は、山の斜面に立っていた。畑の作物のように整列してはいない。痩せた赤い土に、まばらに、上のほうへ向かって立っている。秋には葉が燃えるように赤くなるのだと、案内してくれた人が言った。私はその斜面を見上げて、自分が二十年以上のあいだ掌で受けてきた蝋が、ここから来ていたのだと、初めて知った。出どころを見た日だった。
パラフィンを混ぜれば、蝋は安くなる。石油から採れるパラフィンは、年ごとの当たり外れがなく、固さもいつも同じだ。混ぜれば原料屋の電話に振り回されることもない。だが、混ぜれば炎が変わる。櫨蝋だけの炎は、伸びて縮んで左右に大きく躍る。パラフィンが混じると、その躍りが鈍り、煤が増える。私は混ぜていない。混ぜない一線を、いまのところは、守っている。
人に会うと、必ず後継者のことを聞かれる。「跡継ぎはいるんですか」。私はいつも、まだ決まっていません、と曖昧に答える。ほんとうは、原料のほうが先に消えるかもしれない、と思っている。職人がいても蝋がなければ和ろうそくは作れない。蝋があっても掛ける手がなければ、塊は塊のままだ。原料が先か、職人が先か。私にはその順番が、どうしても決められないでいる。
原料が先か、職人が先か。それは、伝統というものが必ず突き当たる、答えの出ない問いなのだ。木を植える人がいて、実を搾る人がいて、その蝋を掛ける私がいて、灯す人がいる。その長い列のどこか一つが欠ければ、炎は消える。私たちはみな、見えない誰かの手の続きを生きているのだと、いまでは思う。
あれから何年、あの斜面の赤い土を思い出しただろう。覚えているのは、固い年の蝋が指に残す、あの高い熱だ。私はいまも、原料屋からの電話を取るたびに、その年の溶ける温度のほうを、先に読んでしまう。工房の鍋は、今日も静かに櫨蝋を溶かしている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。