ツボイレンジ(46歳・和ろうそく職人24年)
工房の注文の柱は寺だ。法要の太いろうそくと、朝のお勤めの細いもの。寸法も本数も寺ごとに決まっていて、私はその二つを別の生き物のように掛け分ける。法要用は太い。一晩の読経のあいだ燃え続ける寸法でなければならないからだ。朝のお勤めのは、短い読経のあいだだけ点して消す。同じ本堂で、太さと役目はまるで違う。
どの寺からも必ず言われるのは「煤の少ないものを」だった。本堂の天井は高く、欄間にも仏具にも金が使われている。煤は年月をかけてそれを黒く傷める。和ろうそくの櫨蝋(はぜろう)は、洋ろうそくのパラフィンより煤が少ない。寺が和ろうそくを選び続けてきたのは、その一点のためだ。植物の脂は、金の天井の下で、煤を吐かずに燃える。
注文の癖は、寺の数だけある。長い付き合いの一軒は、朱蝋を嫌う。本堂が古く、朱の照り返しが仏具に映るのを先代が嫌ったのだという。だから私はその寺にだけ、白蝋を一度多く掛けて、表をわずかに沈ませる。注文の紙には書いていない。前の住職の口癖を、私の手が覚えている。宗派が違えば燭台の高さも違い、丈を詰める寸法も変わる。私はその一軒一軒の面倒を、体に入れて掛けている。
納品で本堂に上がる日は、足袋の裏から板の冷たさが伝わる。風呂敷を解き、ご本尊に一礼して、寺の方の指す場所にろうそくを置く。そのとき私は、燃え残りを見せてもらう。お下がり、と寺の方は言う。前の法要で燃え尽きずに残った、根元の蝋の塊だ。
私はその塊を指で割って、断面を見る。芯の周りまで蝋がよく吸い上がっていれば、断面は白く均す。皿のほうに流れて固まった蝋が厚ければ、芯が吸いきれなかったということだ。芯の根に黒いものがこびりついていれば、爪でこそげて、煤の硬さを確かめる。柔らかい煤か、焼き付いた煤か。それで、私が温度をどう間違えたかが分かる。お下がりは、私が本堂で何をしてきたかを、黙ったまま手の中で語る。
あるとき、代替わりした若い住職から「先代と同じものを」と注文が来た。同じものを作る——それが、いちばん難しい注文だった。櫨蝋は実る年によって脂の質が違う。芯のい草も、年によって髄の太さが変わる。原料は毎年変わる。それでも、本堂が覚えている先代の炎は、変わってはいけない。
だから調整する。い草が細い年は巻きを一巻き足し、櫨蝋がだれやすい年は掛ける温度を下げる。外から見れば同じ一本でも、中身は毎年ちがう手当てがしてある。先代の燃え方を覚えている本堂のために、見えないところで原料の差を埋める。同じに見せるとは、同じに作ることではない。毎年ちがう材料で、同じ炎を組み直すことだ。
あれから何度、本堂に上がっただろう。覚えているのは、お下がりの塊が掌に残す軽さだ。燃え切ったろうそくは、ほとんど何も残さない。私はいまも、寺の高い天井を見上げると、煤の付き方のほうを、先に読んでしまう。