ツゲノリコ(62歳・旅館の仲居38年)
仲居は、お客様に会っていない時間のほうが長い。お迎えして、お茶を出して、夕食をお運びする。その合間、お客様が食事処にいる数十分の間に、空いた部屋へ入って布団を敷く。会わずに、その人の眠りに手を入れる。三十八年、私はその時間のほうを多く生きてきた。
布団を敷くのは宿のいちばん地味な仕事だと思われている。畳んだものを広げるだけ、と。一年目の私には、それがいちばん難しかった。広げる前に決めることが多すぎた。枕を景色の側に向けるか、テレビの側に向けるか。掛布団の襟をどこで折るか。お客様はもう部屋にいない。訊けない。
初めて一人で任されたのは、昭和六十三年の秋だった。私は二十四歳だった。先輩は「あんた、もう大丈夫やろ」とだけ言って、下の階へ降りていった。配膳室から出汁の匂いが上がってきていた。私は布団二組を抱えて、空いた部屋の襖を開けた。
部屋には、人のいた時間だけが残っていた。座卓に館内の案内図が広げてあり、露天風呂のページの隅が、指で押さえた折り目で立っていた。床の間の前の座椅子が、二つとも窓のほうへ斜めに寄せてあった。衣文掛けには浴衣の帯が一本、結ばずに端を垂らして掛かっていた。私はしばらく、襖の前から動かなかった。
座椅子が二つとも窓を向いている。私は枕を窓の側に向けて敷くことに決めた。この人たちは外を見ていたい。掛布団の襟を胸のあたりで一度折り返した。冷える晩だったから、肩まですぐ引き上げられるように。座卓は隅へ寄せ、案内図はそのままにしておいた。明日も露天の場所を確かめるかもしれない。枕元には、低いのと高いのを二つずつ重ねた。お客様の首の長さも肩の凝りも、私は知らない。知らないから、選べるようにしておく。
敷きながら、耳は廊下を聞いていた。配膳の下駄の音、お客様のスリッパの音、番頭さんの早足。お吸い物を下げる音が遠くでしたら、もう戻られる頃だ。それまでに敷き終えて、自分の気配を消して出ていく。襖を閉めるとき、私は部屋に何も足さなかったし、何も持ち出さなかった。
翌朝、その部屋のお客様が発たれたあと、片付けに入った。枕は二つとも、窓側に寄っていた。それだけのことだ。私はその枕を抱えて、押し入れの上の段に戻した。
三十八年で、何万組の布団を敷いたかわからない。お客様のお顔は、部屋を出れば忘れる。見ても、覚えない。それが仲居の作法だ。覚えているのは、部屋のほうだ。窓へ斜めに寄った座椅子。指で押さえた案内図の折り目。会わない人の、いた時間。