鍵の、処分
開ける扉が、もうない鍵

ツツミレイナ(39歳・ホームセンター合鍵係15年)

合鍵を作る仕事を十五年している。けれど、合鍵を作らずに帰る客もいる。鍵を「処分してほしい」と言って、束で置いていく客だ。窓の外には冷たい雨が降っていて、店内には鉄と木材の匂いが静かに漂っていた。そういう日に、その人たちは来る気がする。

束で持ってくる客は、たいてい引っ越しの後か、実家じまいの帰りか、家族を見送った後だ。「この鍵、もう要らないので処分してもらえますか」。カウンターに置かれた鍵束は、観光地の土産物のキーホルダーが付いたままのこともある。木彫りの熊、温泉のひょうたん、色の褪せた根付。鍵そのものより、そっちのほうが先に目に入る。

店としては、金属ごみとして処分するだけだ。自治体の分別では、鍵は不燃ごみではなく金属ごみに入る。キーホルダーのプラスチックは外して分ける。それだけの、事務的な作業だ。けれど、客が「お願いします」と束を手放すとき、一拍、間がある。その一拍を、私はいつも見てしまう。鍵の本数から家の人数を想像する癖が、また動きかける。動きかけて、のみこむ。

鍵には、刻印がある。側面に打たれた番号、メーカーの記号。そこから分かることもある。どこのメーカーの、どの型番の錠前用か。けれど、分からないこともある。その鍵が、どの家の、どの部屋の、誰の扉を開けていたか。番号は錠前のことしか教えてくれない。扉の向こうにいた人のことは、何も教えてくれない。

逆の客もいる。「どの扉のか分からない鍵」を一本持ってきて、「これに合う鍵穴って、分かりますか」と訊く人。引き出しの奥から出てきた、由来の知れない鍵。分かりません、が答えだ。鍵から錠前は、逆算できない。鍵は、対になる扉があって初めて意味を持つ物で、その片割れを失った鍵は、ただの金属の、変な形をした薄い板でしかない。

遺品整理業者の名刺を、束と一緒に置いていった客もいた。きっと、家を片付けた帰りなのだろう。鍵だけが残って、開ける扉がもうない。私はその束を受け取って、いつものように金属ごみの箱へ入れた。鍵は記憶の形見なのだ、とそのとき思った。手のひらに乗るほど小さいものに、人は言わない何かを乗せて、手放しにくる。

鍵の断面を見ると、摩耗で使用頻度が分かる。毎日差された鍵は、鍵山の角が丸くなっている。たまにしか使われなかった鍵は、角が立ったままだ。束の中の一本だけ、やけに丸くなっていることがある。それが玄関の鍵で、他は物置や、開かずの引き出しの鍵だったのかもしれない、と思ったりする。思うだけだ。

処分を頼みに来て、結局持ち帰る客もいる。カウンターに束を置いて、私が「お預かりします」と言うと、もう一度それを手に取って、「やっぱり、もう少し持っておきます」と言う。私はその手を見ている。鍵を握り直すときの、指の力を。

鍵は、扉とペアでなければ意味を持たない。片方を失った鍵は、行き場がない。けれど、人はその行き場のなさを、すぐには手放せない。鍵は記憶の形見であり、扉のない鍵を握ることは、いなくなった人をもう一度握ることなのだろう。だから私は、処分の束を受け取るときも、少しだけゆっくり手を出すことにしている。それが、十五年で私が見つけた、合鍵係のささやかな作法なのかもしれない。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。