活字の、棚(第二稿)
廃業した印刷所の鉛を引き取る

ツヅラフミ(56歳・活版印刷職人34年)

「活字、要るか」。隣町の松井さんの声だった。三十年つきあった伝票屋で、店をたたむという。用件はそれだけで、向こうも切るのが早かった。要るか要らないかは、棚を見てから決めることだ。私は軽トラを借りに行った。

翌朝、シャッターの半分上がった店に入ると、活字の棚が壁三面を埋めていた。ケースを一段抜く。八キロはある。鉛の合金は見た目を裏切る。両手で抱えて軽トラの荷台に置くと、後ろが指三本ぶん沈んだ。一段、また一段。三面ぶん積み終える頃には、腰の右側が固まって、その晩は階段を一段ずつしか降りられなかった。鉛を運ぶというのは、そういうことだ。

全部は要らない。自分の棚と照らして、欠けている字から拾う。うちは三号が手薄だった。松井さんの三号の段を見ると、「御」「中」「拝」あたりは私の棚より揃っている。伝票屋が使わなかった字は、向こうの棚で減っていない。逆に「金」「円」は、向こうも私と同じだけ丸い。結局、埋まったのは三号の半分で、残り半分は前と同じく、いつか買い足すことになる。引き取りとは、二つの棚の、減っていない字どうしを足し合わせる作業だ。

一本ずつ、面を見る。使い込まれた活字は、肩が丸い。インキを乗せる出っ張りの角が、刷るたびに削れていく。指の腹で肩をなぞって、現役の字と、もう刷れない字に分ける。丸くなりすぎた字は、敷きを足しても載りが甘い。迷う本数はほとんどない。三十四年なぞってきた肩だ。

松井さんの棚は、「金」「円」「領収」が、ほかより一段丸かった。伝票屋の三十年が、その三字に集まっている。私の棚で丸いのは「様」と、名前に多い字だ。同じ商売の鉛でも、何を刷ってきたかで、減る字が違う。「金」がここまで丸いなら、月末の請求書を相当な数、刷り続けたのだろう——前の店の仕事は、字の肩を読めば、おおかた見当がつく。

もう刷れない字は、箱にまとめて、鋳造所に送る。向こうで溶かして、新しい活字に鋳直す。送り状に重さを書く。十二キロ。これだけの「金」と「領収」が、溶けて、別の店の別の字になって、どこかの棚に戻る。私は重さだけ書いて、送り状を貼った。

持ち帰った三号を、自分の棚の空き段に入れた。すっと収まる段もあれば、もとからあった字と背の高さがわずかに違って、指で押し直す段もある。次に三号で名刺を頼まれた日、その客の名前の最初の一画は、たぶんこの「御」か「中」で押される。松井さんの店で減らなかった字が、私の店で、最初の一枚を押す。今日も棚の前で、肩をなぞっている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。