礼服の、長期保管
出される頻度で、人生の局面がわかる服のこと

ウエハラセツコ(61歳・クリーニング店受付38年)

服を預かる仕事は、一週間分の暮らしを預かる仕事だと思っている。けれど礼服だけは、一週間では測れない。礼服は、出される頻度で人生の局面がわかる服なのだ。何年も出されない礼服がある。立て続けに三回出される礼服がある。受付に三十八年立っていると、そういう年が、お客さまに巡ってくるのが、なんとなく見えてくるような気がする。

礼服の黒は、ふつうの黒とは深さが違う。ジャケットの黒とスラックスの黒、上下で微妙にずれることがあって、私はカウンターの蛍光灯の下で、布を重ねて色を合わせる。黒に黒を合わせるという、はたから見ればおかしな作業を、私は三十八年やってきた。深い黒ほど、光を吸って沈んでいく。窓の外の景色が、その黒には映らない。

クリーニングのあと、そのまま長期保管をお預かりするサービスがある。温度と湿度を保った保管庫で、礼服はシーズンを越して眠る。撥水加工のオプションを付ける方もいる。保管を選ぶ方と、毎回ご自分で持ち帰る方と、お客さまははっきり分かれる。持ち帰る方は、たぶん、家のどこに掛けておくか決まっているのだろう。預ける方は、家に置いておきたくない理由が、あるのかもしれない。

喪服のポケットから出てくる物は、だいたい決まっている。数珠袋。香典袋の予備。そして、折り畳まれた会葬礼状。三十八年、私はこの三つを、何度も手に取ってきた。会葬礼状には、見たことのない名前が印刷されている。私の知らない方の、最後のご挨拶だ。私はそれを、読まずに、封筒袋に入れる。

会葬礼状を封筒袋に入れてお返しすると、お客さまは受け取るとき、一瞬だけ手を止められる。その一瞬に、何が通り過ぎているのか、私にはわからない。たたまれた紙の重さは、ほとんどない。けれど、その手の止まり方を見ていると、紙の重さとは別の重さが、そこにあるのだと感じられてならない。

うちの店には、礼服のタグは、ほかの服より丁寧に付ける、という不文律がある。誰が決めたわけでもない。けれど私たちは、礼服にタグガンの針を通すとき、縫い目の内側の、いちばん目立たない場所を探す。パチン、と鳴る音も、礼服のときだけは、少し遠慮がちに聞こえる。礼服には、礼服の扱い方がある。それを言葉にした人は、店には誰もいない。

ボタンは、くるみ布で包まれている。長く保管された礼服のくるみ布は、出される頃にはうっすら擦れて、糸の地が透けて見えることがある。眠っているあいだに擦れたのではない。出されて、着られて、しまわれて、また出されて——その繰り返しが、布の上に薄く積もっているのだ。擦れたくるみ布を見ると、私はその礼服が越してきた局面の数を、数えてみたくなる。

引き取り期限の電話をかけることがある。長く保管したままの礼服に、私は受話器を取って、お客さまの番号を回す。出られないことも多い。誰も着なかった礼服が、保管庫で静かに眠り続ける。それは、その方の人生に、礼服を出す局面が来なかったということだ。出されない礼服は、しあわせな礼服なのかもしれない、と私は思う。

礼服は、人生の節目を着る服なのだ。慶びの日も、悲しみの日も、人は同じ黒を身につけて、その日に立ち会う。出される頻度がその人の局面を語り、ポケットの中身がその人の祈りを語る。私はその黒を預かり、深さを合わせ、針を遠慮がちに通して、また保管庫へ戻す。そうやって人さまの節目に寄り添ってきたことが、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日もカウンターの奥で、回転ラックは静かに回っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。