歩車分離の、苦情
設定の変わった交差点で

ウキタジュンペイ(35歳・信号機の保守点検員13年)

信号の設定が変わると、苦情が来る。これはもう、季節の変わり目に風邪が流行るのと同じくらい、決まったことだ。歩車分離式に変わった交差点では「車が全然進まない」、右折矢印が増えた交差点では「歩行者が渡りにくくなった」。電話を受けるのは私たちではないけれど、変わったばかりの交差点の前に作業車を停めていると、その苦情の主が、そのまま歩いてくることがある。

夕暮れの交差点に立っていると、青信号の光がアスファルトに滲んで、町はまるで何かを我慢しているように静かだ。歩車分離式というのは、車の信号と歩行者の信号を別々の時間に分ける方式だ。車が全部赤になっているあいだに、歩行者だけが、四方向どこへでも渡れる。斜め横断もできる。事故は減る。けれど、車の待ち時間は確実に増える。誰かの安全は、たいてい誰かの時間で買われている。

切り替えの工事をした朝のことを覚えている。制御機の設定を書き換え、灯器に歩車分離の表示板を取り付け、横断歩道のペイントを引き直す。昼前に新しいタイミングで動き出すと、最初の赤で、もう車の列が普段の倍に伸びた。窓を下げた運転手が、作業車の私に向かって「前の方が良かった」と言った。私は「警察の管轄なので」と頭を下げた。それしか言えない。

なぜこの交差点が歩車分離になったのか、その理由は現場のどこにも書いていない。制御機の箱を開けても、盤面に並んでいるのは秒数だけで、「ここで子どもがはねられたから」とは書いていない。事故の統計と、地域からの要望と、警察の判断。それらが積み重なって、青の秒数が決まる。けれど決まった結果だけが現場に届いて、理由は届かない。私はその結果を機械に入力するだけの人間だ。

右折矢印が増設された別の交差点では、逆のことが起きた。車はスムーズに右折できるようになったが、そのぶん歩行者の青が短くなった。今度は近所のお年寄りが「渡りきれないのよ、前は渡れたのに」と言ってきた。前の方が良かった、と車の人も言い、歩く人も言う。けれど、どちらの「前」にも、たぶん事故の記録がある。変える理由がなければ、設定は変わらないからだ。理由を知らないまま、人は前を懐かしむ。

点検中に話しかけられるのは、いつも私たち保守員だ。「ここの信号、短すぎない?」「なんで分離式になったの?」。設定は警察の管轄で、私たちは機械の管轄だ。秒数を決める権限も、変える権限も、説明する立場も、私にはない。それでも目の前で脚立を立てているのは私で、制服を着て交差点をいじっているのも私だから、聞かれるのはいつも私になる。管轄の線引きは、現場の人には見えない。

だから私は、答え方の作法のようなものを覚えた。「設定のことは警察にお問い合わせください」と言いつつ、「でも分離式は、事故が多かったところに入れることが多いみたいですよ」と、知っている範囲の一般論だけ、そっと付け足す。嘘ではない。けれど、この交差点で何があったのかは、私も知らない。知らないまま、知っている顔をして、お年寄りを少しだけ納得させる。それが正しいことなのか、いまでもわからない気がする。

苦情の電話の中身を、私は直接は聞かない。けれど点検に来るたび、伝聞で回ってくる。「あそこ、まだ苦情来てるらしいよ」。半年もすると、苦情はだんだん減っていく。人は新しい秒数に慣れて、それが当たり前の交差点になる。慣れたころには、もう誰も理由を聞かない。理由を知らないまま従い、理由を知らないまま慣れる。それでいいのだろうと、私は思うようにしている。

信号は、誰のものでもなく、皆のものなのだと思う。車の人のものでも、歩く人のものでもなく、ただ交差点を分かち合うための、共通の約束だ。私はその約束が今日も正しく守られるように、縁の下で機械を直している。前の方が良かったと言われても、私は黙って秒数を確かめる。どちらの前にも事故があったことを、たぶん私だけが、なんとなく知っているから。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。