住まいのしおり(第二稿)
七号棟三〇二、同じ金曜(住人篇)

宇野正一(八十二)は、昭和四十三年に入居してから五十八年、同じ部屋に住んだ。妻の芳枝は先に亡くなった。今日、団地の最後の一軒として部屋を出る。娘の真弓(五十四)が、遠くから手伝いに来ている。行き先は坂の下の団地で、戻り入居の棟ができるまでの二年。

共同生活

午後三時。和室。家具はもうない。畳に、日に焼けていない四角い跡。押入れの襖に、剥がしかけの養生テープ。真弓が天袋から最後の箱を下ろす。階段から、業者の声。

業者の声冷蔵庫、出まーす。踊り場、回しまーす

真弓お父さん、これ。天袋の奥

宇野うん

真弓「住まいのしおり」。昭和四十三年。公団

宇野入るとき、もらった

真弓これ、燃えるほう? 資源?

宇野……

真弓(めくって)「上下左右のお宅に、音や水でご迷惑をかけないように」。ガス風呂の点け方まで書いてある。種火

宇野お母さんが、それを見て点けた。最初の晩

真弓お父さんは

宇野見てた

真弓手伝わないで

宇野マッチが、湿ってた

真弓、笑う。しおりを資源の袋に入れかけて、父の紙袋に入れる。宇野は何も言わない。

業者の声(階段の下から)宇野さーん、和室、もうないですかー

真弓(廊下へ)あとは手で持っていきます

天井

真弓が和室に戻ると、宇野は部屋の真ん中に立って天井を見ている。押入れ寄りの天井板に、茶色い輪じみ。その端に一枚だけ、色の新しい板がはまっている。

真弓それ、結局、張り替えなかったね

宇野断った

真弓開けたとこだけ新しいの、変なの

宇野公団が、そこだけ替えた

真弓お母さん、なんか名前つけてたでしょう。これに

宇野つけてた

真弓なんだっけ

宇野……

真弓言わないんだ

宇野上から来た

真弓知ってる。上のお風呂でしょう。私はもう家を出てたけど、お母さんから電話で聞いた。平成の、はじめ

宇野三年の、八月

真弓上、女の子がいたよね。名前、なんだっけ

宇野忘れた

真弓お母さんがつけたほうは覚えてて、そっちは忘れたの

宇野……

真弓、携帯を出して天井に向ける。

真弓撮るよ

宇野うん

シャッターの音。上の階からは、何の音もしない。

立会い

午後五時。台所。URの若い職員が、チェックシートを挟んだ板を持っている。

職員残置物、なし。ガスは閉栓済み。電気は、電力会社さんに止めのご連絡は

真弓しました。今日までで

職員お部屋は取り壊しになりますので、原状回復は結構です

真弓よかった。五十八年分

職員(和室をのぞいて)あ、天井

宇野平成三年

職員漏水ですか

宇野上から

職員建て替えで、管理事務所の書類をいま全部、箱に詰めて本社に送ってて。当時の修繕の記録も、残ってるかもしれませんね

宇野残ってなくていい

職員……はい

真弓お父さん

職員では、鍵を。お預かりします

宇野、鍵を職員の手のひらに一本ずつ置く。職員、数えて袋に入れる。

職員明かりは、最後に消していかれますか

宇野消す

五時半を過ぎて、宇野は和室の明かりのひもを二回引く。豆電球になり、それから消える。

坂

五時四十分過ぎ。詰所で警備員に挨拶をすませ、宇野と真弓は坂を下りはじめる。歩道の欅の下に、カメラを持った若い女と、四十代の女。

若い女の声久住さん、もう暗いので。撮れました

もう一人の声うん

宇野、足を止める。真弓が一歩先で振り返る。宇野は振り返らずに、また歩き出す。

真弓お父さん

宇野うん

真弓さっきの。残ってなくていい、って、なに

宇野……

真弓お母さんの、あれと関係あるの

宇野向こうの部屋、窓の寸法が違う

真弓え?

宇野カーテンが、合わない。ここのを持ってきたけど

真弓……明日、買いに行こう。私、帰るの夕方だから

宇野うん

二人、坂を下りる。紙袋が、ときどき宇野の膝に当たる。

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このページの記事はAI(Claude)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。登場人物・団地・マンションはフィクションです。