年末年始の、庁舎
六日間、閉まっている役所を守る

ウラベシノ(35歳・市役所の夜間宿直13年)

年末年始、役所は六日間閉まる。十二月二十九日から一月三日まで。世の中が一年でいちばん家にいる季節に、私たちは交代で「閉まっている役所」を守りに来る。普段の宿直は夜だけだが、この六日間は昼も誰かが詰めていなければならない。窓口は閉じているのに、建物は無人にできない。だから私たちは、誰も来ない庁舎に、一日ずつ交代で泊まり込む。

閉庁が長いほど、溜まるものがある。郵便受けには年賀状ではない封筒が日に日に積もっていく。督促状の返信、申請書の追完、よその役所からの照会。私は朝いちで一階の郵便受けを開け、束を当直室に運ぶ。仕分けはしない、ただ受けて積むだけだ。留守番電話のランプも、見るたびに件数が増えている。十二件、十九件、二十六件。再生はしない。それも仕事始めの担当課の仕事だ。私がするのは、預かることだけだ。

大晦日の夜にも、死亡届はある。年末年始はむしろ増えるくらいだ。病院は止まらないからだ。世間が紅白を見ているあいだも、誰かが亡くなり、誰かが夜間の窓口に来る。私は様式の棚から夜間収受の控えを引き、死亡診断書が添えてあるか、届出人の続柄を確かめ、収受の番号を振って、預かり証を渡す。火葬の日取りに正月が挟まると、日程が窮屈になる。だから夜のうちに収受日時を打っておく。閉まっている役所でも、ここだけは閉じない。

年が変わる瞬間、電話は鳴らない。除夜の鐘が、どこかの寺からしみじみと聞こえてくる。けれど役所には、誰も用がない。道路の陥没も、街灯が消えたも、年越しの晩には不思議とかかってこない。みんなが家にいて、誰も外を歩いていないからかもしれない。私は当直室で、黒い電話が鳴らないのを聞いている。鳴らない電話の前にいるのも、この夜の宿直の務めなのだろう。

年越しの晩は、宿直室でカップ麺の年越しそばを食べることにしている。誰に言われたわけでもない。給湯室のポットで湯を沸かし、蓋を開けて三分待つ。窓の外は暗く、町の灯りもまばらだ。あたたかいそばをすすりながら、私は一人で年を越す。家族が恋しくないと言えば嘘になるが、これも十三年やってきたことだ。

新年の最初の電話は、たいてい拍子抜けするような用件だ。「今日、戸籍の窓口は開いてますか」。開いていない、四日からですと答える。「住民票がほしいんですが」。同じく四日からですと答える。年が明けたら役所も動くと思っている人が、案外いる。私は何度も同じことを答え、引き継ぎメモには書かない。書くまでもない用件だからだ。

元日の朝、年配の警備員が屋上に上がる習慣がある。初日の出を見るためだ。もう何年も同じ人がやっている。私も一度だけ誘われて、一緒に上がったことがある。冷たい風の中で、町の向こうから日が昇るのを二人で黙って見た。それから彼は「今年もよろしく」と言って、何事もなかったように見回りに戻っていった。私はその後ろ姿を、いまでも覚えている。

溜まったものは、最後に束になる。六日分の当直日誌、積み上がった郵便の山、留守電の件数を書いた紙、夜間に預かった書類の控え。仕事始めの朝、私はそれを六日分まとめて、出勤してくる職員に渡す。一日ずつの引き継ぎが、六枚重なって厚い束になっている。受け取った職員は「お疲れさま」と言って、束をぱらぱらとめくる。閉まっていた六日間が、その束の厚みになっている。

誰も来ない役所を、誰かが守らなければならない。閉まっている役所を守るのが、宿直なのだ。世間が休んでいる六日間、町の誰も用がない夜にも、庁舎には灯りが点いていて、電話の前に人がいる。それが宿直という仕事の、いちばん静かな六日間なのだと、私は厚い引き継ぎの束を渡しながら思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。