核は強い。「夜の電話は全部、昼に収まらなかったことだ。急ぎか、急ぎじゃないかを聞き分けろ」という先輩の一言。そして「死亡届を、出したいんですが」という夜の声と、それを感傷ではなく様式で受ける宿直の手つき。この二つだけで一本立つ。問題は、書き手がその核を信用せず、月明かりと蛍光灯で場面を装飾し、最終段で全部を主題文に言い換えて締めてしまっていることだ。とりわけ、事務の正確さで書くと宣言したはずの死亡届の場面に、宿直が実際にやる手の動きが足りない。職業エッセイは、職業の手つきが甘いと全部が作り物に見える。
「あの最初の夜の電話が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今夜も当直室の黒い電話は、鳴るのを待って、静かに置かれている。」
起源神話の判子を自分で押して終わっています。「私をいまの私にしてくれた」は、どの書き手の末尾にも貼れる汎用シールで、ウラベシノである必然がない。鳴るのを待つ黒い電話の静物で締めるのも、余韻の偽装です。読者に渡すべき余白を、作者が先に埋めている。しかも「〜のだと思う」と保険までかけている。
「庁舎の夜は静かだった。月明かりが廊下のリノリウムに長く伸びて、自分の足音だけが響く。」
月明かり、長い影、足音。「夜の役所」を安く文学化する既製の装置です。十三年その建物を見回ってきた人間なら、出てくるのは月明かりではなく、宿直明けに点け直す自販機の唸りか、空調が止まった廊下の生暖かさか、見回りで押す各階の確認ボタンの位置のはずです。雰囲気が人物より先に立っており、生成された“それっぽさ”の典型。
「半分は当たっていた。」「いつからか思うようになった。」「私をいまの私にしてくれたのだと思う。」
宿直の電話の仕事は、急ぎか急ぎでないかを断定する仕事です。本文中で作者自身がそう書いている。なのに語り手の回想が「〜ようになった」「〜のだと思う」で柔らかく逃げていく。これは聞き分けを生業にしてきた人間の声ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。仕分ける人間の文体は、もっと無愛想なはずです。
「正確には、預かる。死亡診断書が揃っているか、届出人の続柄、火葬の日取り。様式に沿って確認し、当直の窓口で書類を預かり、翌朝に戸籍の担当課へ引き継ぐ。」
事務の正確さで書く、という方針の中心がここなのに、列挙が概念どまりです。本当に十三年やった人間なら、夜の宿直に死亡届の受理権限がどこまであるのか(多くの自治体で宿直は「収受」までで審査は翌朝)を区別して書くはずだし、死亡診断書のどの欄を確認するのか、預かり証に何の番号を振るのか、火葬許可証はその場で出せないことに触れるはずです。手の動きが書けていないので、正確さの宣言だけが空回りしている。
「私はモニター越しに応対し、出入口の鍵を開けた。」
警備出身の宿直なら、夜間に庁舎の鍵を一人の判断で開ける手順を、こんなに無造作には書きません。来庁者の用件確認、当直記録への入庁時刻の記入、解錠の判断と施錠の確認——そこにこそ警備十三年の手つきが宿るのに、「鍵を開けた」で素通りしている。せっかく警備会社出身という設定を立てたのに、いちばん効く場所で使っていない。
「夜の役所に来る人は、昼に来られない事情のある人なのだと、いつからか思うようになった。」「夜の窓口の蛍光灯は、そういう人たちのために点いている。」
これは完全に解説文です。喪服ではない普段着で蛍光灯の下に立っていた男の人、という一つの像がすでに全部を語っている。それを抽象語で「昼に来られない事情のある人」と言い直すたびに、あの普段着の値打ちが下がる。主題を主題文として書いたら、それはエッセイではなく要約です。
「私は手が止まった。」
この一文は、看護師の回想にも、消防の回想にも、そのまま置ける。止まった手が次に何をしたか(受話器を持ち替えたのか、メモ用紙を探したのか、様式の棚に目をやったのか)を書かなければ、人物の動揺は存在しないのと同じです。幸い直後に「先輩がメモ用紙を一枚滑らせた」という良い具体があるので、語り手側の手も具体で受けるべきです。
残すべきは三つ。先輩の「急ぎか、急ぎじゃないかを聞き分けろ」、「死亡届を、出したいんですが」の声、そして普段着で蛍光灯の下に立っていた男の人と「死亡届預かり一件」の一行。削るべきは、月明かりの書き割り、留保語尾、最終段の主題解説と自己赦し。改稿では、死亡届の場面を宿直の権限の範囲(収受までか、審査もか)で正確に書き、解錠の手順に警備出身の手つきを一行入れること。意味は手の動きが運ぶ。説明が運ぶのではない。最後の一行は、当直日誌の「一件」だけで終えていい。