ウラベシノ(35歳・市役所の夜間宿直13年)
市役所は夜も閉まらない。窓口は閉まる、電気の半分は落ちる、けれど建物は起きている。閉庁後の市役所には宿直がいて、私はその仕事を十三年やっている。配属されたのは二〇一三年、二十二歳の春だった。それまで私は、夜の役所に電話がかかってくることすら知らなかった。
もともとは警備会社の人間だった。ビルの夜回りをして、火の元と戸締まりを見て、朝に引き継ぐ。市役所の宿直に回されたとき、上司は「役所の夜は静かだから楽だぞ」と言った。半分は当たっていた。庁舎の夜は静かだった。月明かりが廊下のリノリウムに長く伸びて、自分の足音だけが響く。けれど、もう半分は外れていた。
夜の役所には、電話が鳴る。最初の夜、当直室の黒い電話が鳴ったとき、私は受話器に手を伸ばすのをためらった。誰がこんな時間に、閉まった役所にかけてくるのか。先輩は私の代わりに取って、二言三言交わして切った。「道路の陥没」と先輩は言った。「県道のほう。土木に朝いちで回す」。それだけのことが、夜にかかってくるのだと、私はそのとき初めて知った。
夜の電話は、いろいろだった。道路が陥没した。橋の上に大きな動物が死んでいて車が避けて危ない。水道管が破裂して道が川になっている。街灯が消えて子どもの通学路が真っ暗だ。どれも昼の窓口なら担当課がすぐ動くことだ。けれど夜は、担当課がいない。宿直にできるのは、聞いて、書いて、朝の課につなぐことだけだった。
配属されて間もない夜、先輩に言われた言葉を、私はいまでも覚えている。「夜の電話は全部、昼に収まらなかったことだ。お前にできるのは、急ぎか、急ぎじゃないかを聞き分けることだけだ」。急ぎなら、その場で担当の当直、あるいは委託業者に回す。急ぎでないなら、引き継ぎメモに書いて朝に渡す。判断はしない。仕分けるだけ。それが宿直の電話の仕事だった。
ある夜、低い男の声で電話があった。「死亡届を、出したいんですが」。私は手が止まった。先輩がメモ用紙を一枚、私の前に滑らせた。夜間でも、死亡届は受理する。正確には、預かる。死亡診断書が揃っているか、届出人の続柄、火葬の日取り。様式に沿って確認し、当直の窓口で書類を預かり、翌朝に戸籍の担当課へ引き継ぐ。火葬の予約に間に合わせるため、夜のうちに動かさなければならないことがある。だから役所は、夜も死亡届を閉じない。
その夜、男の人が夜間出入口のインターホンを鳴らした。私はモニター越しに応対し、出入口の鍵を開けた。蛍光灯の白い受付に、男の人は喪服ではない普段着で立っていた。私は様式どおりに書類を確認し、不足はないことを確かめ、預かり証を渡した。担当課への引き継ぎメモに、預かった時刻と書類の枚数を書いた。男の人は「ありがとうございました」と頭を下げて、夜の中へ帰っていった。私は当直日誌に一行、「死亡届預かり一件」と書いた。それ以上のことは、書かなかった。
夜の役所に来る人は、昼に来られない事情のある人なのだと、いつからか思うようになった。仕事を抜けられない人。昼間は家を空けられない人。日中の自分では、どうしても持ちこたえられない人。夜の窓口の蛍光灯は、そういう人たちのために点いている。見回りのルートを懐中電灯で回りながら、私は当直室に戻って、また電話を待った。
あれから十三年。私は夜の用件の観察者になった。急ぎと急ぎでないを聞き分け、書いて、つなぐ。それだけの仕事を続けるうちに、私は町の夜を知る人間になった。昼には決して見えない町の裏側を、宿直の電話が私に見せてくれた。あの最初の夜の電話が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今夜も当直室の黒い電話は、鳴るのを待って、静かに置かれている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。