窓際の奥。ワタナベ(六十五)が新聞を広げている。向かいの席は空いている。高校の二年後輩の杉浦とは、月に一度、土曜の朝にここで会う。先月は自分が風邪で休んだ。杉浦が来なかったことは、ない。
ワタナベ、腕時計を見る。コーヒーは二杯目。ドアの鐘が鳴る。紺のジャージの高校生が入ってきて、通路を挟んだ席に座る。ワタナベに気づく。
高校生あ。どうも
ワタナベおはよう
高校生今日、一人っすか
ワタナベ待ってる
高校生ふうん
高校生、小倉トーストを頼む。ワタナベは携帯を出して、電話をかける。耳に当てて、しばらく待つ。切る。
高校生出ないんすか
ワタナベ出ない
高校生LINEは
ワタナベやってない、あいつは
高校生家は
ワタナベ知ってる。行ったことはない
高校生知ってるのに
ワタナベ年賀状が来る。四十六年、毎年。住所はそれで知ってる
ワタナベ部活か、今日も
高校生十時から。……こないだ、合宿の紙の保護者のとこ、自分で判子押したんすよ。判子屋で竹内の買って
ワタナベばれたか
高校生ばれた。母さんに。竹の字が、うちのと違うって
ワタナベ見れば分かるか
高校生分かるらしい。俺は分かんなかった
ワタナベ怒られたろう
高校生怒られた。でも、怒ったあと、母さんが自分の判子、横に押してくれた。だから今、竹内が二個並んでる
ワタナベそれで通ったか
高校生通った。顧問、二個あっても何も言わなかった
小倉トーストが来る。高校生、大きな口で食べる。あんこが指につく。
ワタナベ前に、英作文でAIを使ったら、ずるいと言われてたな
高校生え、聞いてたんすか
ワタナベ聞こえた
高校生あれ、使っていいことになったんすよ。何をAIに聞いたか、全部書いて一緒に出せば
ワタナベ書くのか
高校生書く。めんどい。でも書いたら、ずるいって言われなくなった
ワタナベ先生は、それを読むのか
高校生読んでないと思う。分厚いし
ワタナベ読まないのに、書かせる
高校生書いてあれば、いいんじゃないすか。知らんけど
ワタナベ、新聞を畳む。畳み目が合わない。もう一度畳む。
高校生あ、そういえば。さっき来るとき、坂の下の薬局の前に、判子屋にいたおじさんがいた
ワタナベ判子屋
高校生俺が竹内買ったとき、店にいた人。俺のことずっと見てたから、覚えてる。紺のコートの
ワタナベ……薬局の前で、何してた
高校生立ってた。まだ開いてないのに。シャッターの前で、なんか持って
ワタナベ何を
高校生紙? 封筒かな。分かんない。見てないっす、ちゃんとは
ワタナベ、携帯を出しかけて、しまう。
高校生知り合いっすか
ワタナベ分からん
高校生分かんないんすか
ワタナベ知ってるやつかもしれん。知らないやつかもしれん
高校生、時計を見て立ち上がる。
高校生練習なんで。失礼します
ワタナベ頑張って
高校生、出ていく。鐘が鳴る。ワタナベ、店員を呼ぶ。
ワタナベコーヒー、もう一杯
店員お連れ様は
ワタナベ今日は、来ない
ワタナベ、モーニングのゆで卵を、割らずに上着のポケットに入れる。新聞を開き直す。向かいの席の、灰皿のない机の上を一度だけ見る。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。