東京に住んだことがない(第二稿)
——虎ノ門の自動販売機の前で、四十年

ワタナベ(65歳、元会社員、名古屋在住)

朝、台所でバナナを剥いた。指の腹に残るあの少し湿った繊維の感じを、私は何千回も知っている。生まれて初めてバナナを見せられた赤ん坊には、まだそれが無い。経験を積んだ数だけ、人は対象を身体で覚える。当たり前の話だ。

朝の食卓で、私はその当たり前の話を、別のものに当てはめてみた。

虎ノ門の自動販売機

東京の虎ノ門に、ある坂がある。地下鉄の駅から得意先の本社ビルまで、五分ほどの坂道だ。私はこの道を、四十年で何百回上った。坂を上りきったところに、自動販売機が一台ある。住所で言えば、虎ノ門五丁目、と覚えている。

その自動販売機は、私の記憶の中では、二〇〇五年頃にコカコーラの古い赤いやつから、三菱食品の灰色のやつに変わった。商品の並びは、上段がペットボトルのお茶、中段が缶コーヒー、下段がスポーツドリンク。冷たい飲み物のボタンが青く光っていて、温かいのが赤く光っている。冬の早朝の打合せの前、私はここで決まって缶コーヒーの「ジョージア・エメラルドマウンテン」を買って、坂の上の街灯の下で一口だけ飲んでから、ビルに入った。

この一台の自動販売機について、私はこれだけ書ける。けれど、その自動販売機がある坂の、上りきった先の住宅地に、どんな人が住んでいるかは、私は何も知らない。

妻に切り出した朝

バナナを食べ終わって、私は妻に言った。「老後の話なんだけど、東京に住んでみたい」。

妻は流しの水を止めて、私の方を見なかった。手を拭いて、また洗い物に戻った。少しして「あらそう」とだけ言った。

四十年連れ添った妻の「あらそう」が、肯定でも否定でもないことは、四十年で学んだ。本気でない時、妻は「あらそう」で受け流す。本気の話だと判断した時、妻は手を止めて顔を上げる。今朝の妻は手を止めなかった。私の発言を、本気とは受け取らなかった。

私自身も、本気だったかと言われると、よく分からない。四十年通った場所に、自分が住む姿が、頭の中で像を結ばない。住むなら、と妻が聞き返してくれていれば、私は「虎ノ門五丁目の、あの自動販売機のある坂の上」と答えたかもしれない。けれど妻は聞き返さなかった。私も自分から場所を言わなかった。

調べてみて、やめた

その夜、私はパソコンで、虎ノ門五丁目の不動産の家賃を調べた。一LDKで二十五万円から、と書いてあった。退職金と年金で、十年は払える。けれど、十年払えるか、ではなく、そこに住んだ私が、毎朝あの自動販売機の前を歩く意味があるか、を考えた時に、答えが出なかった。

私が虎ノ門のあの坂で覚えているのは、得意先に向かう前の三分間、缶コーヒーを片手に立っていた時間だけである。住むということは、得意先がもう無い時間に、同じ坂を歩くことだ。同じ坂が、まったく違う景色になっている可能性がある。それを確かめる前に、私は不動産のサイトを閉じた。

妻が後ろから聞いてきた

翌週の夜、テレビでニュースを見ていたら、妻が台所から「あの東京の話、本気だったの」と聞いてきた。手を止めて、こちらを見ていた。

私は少し考えてから、「本気だったかどうか、自分でもよく分からない」と答えた。

妻は「あらそう」とは言わずに、しばらく黙っていた。それから、「私は、行くなら名古屋から動かなくていい」とだけ言って、また台所に戻った。

妻は名古屋で生まれて、名古屋で育って、名古屋で結婚した。妻にとって、住む街は選ぶものではなく、与えられたものだ。私にとって東京は、四十年通った仕事の場所だ。妻と私は、街というものについて、たぶん根本的に違う関係を持っている。それを今夜初めて、はっきりと意識した。

虎ノ門の自販機は、今もある

先月、東京で大学時代の友人の七回忌があって、ついでに虎ノ門の坂を上ってみた。あの自動販売機は、今も同じ場所にあった。三菱食品の灰色のやつは、いつの間にかキリンビバレッジの白いやつに変わっていた。商品の並びも変わっていた。私はもう「ジョージア・エメラルドマウンテン」は買わずに、午後の坂を上って、上りきった所で五分ほど立っていた。

住宅地のほうへ少しだけ歩いてみた。古いマンションの入口に、町内会の防災訓練のお知らせが貼ってあった。日付は来週の日曜だった。それを見て、私は引き返した。

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このページの記事はAIを用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。改稿の主眼は、バナナの比喩を冒頭一回だけに絞ること、出張先の固有名詞を「虎ノ門五丁目の自動販売機」一点に集中させて深掘りすること、妻との会話を二回に分けて噛み合わない方向に展開すること、結末を「行ってみようと思う」決意ではなく「町内会のお知らせを見て引き返した」実行された動詞で閉じること、に置きました。