核は強い。金物を使わず、表裏に段違いに掛けた和紙の帯だけで両方向に折れる紙蝶番。指で押せばたわむほど軽い木の格子。周囲だけに糊をつけて真ん中を浮かせる浮け張り。百年焼けてなお切れずに二枚の扇をつないでいた帯。この四つは、この書き手にしか書けない。問題は、書き手がその四つを信用せず、「先人の知恵」「古人の工夫」という讃歌のシールを各段に貼り、最終段で主題を直叙して全部を回収していることだ。職業エッセイは、手が知っていることを手の動きで見せればいい。感心してみせるのは読者の仕事で、書き手の仕事ではない。
「先人の知恵が詰まった、味のある仕事だったと思う。」/「古人の工夫には、いつも頭が下がる。」/「昔の人は、紙にも息をさせていたのだろう。」
同じ讃歌が手を変え品を変え、ほぼ全段に出てくる。「先人の知恵」「古人の工夫」「昔の人」——主語が違うだけで中身は一つ、「昔の人は偉い」だけです。これはこの屏風についての観察ではなく、和の伝統一般に貼れる汎用シール。三十六年その紙を継いできた人間が言うべきは「偉い」ではなく、なぜ表に一本・裏に一本と段違いに掛けるのか、その一手の理屈のはずです。感心は読者に任せ、書き手は手順だけ出してください。
「設計とはそういうものなのだろうと思う。」/「軽さと強さを両立させるために、骨はわざと隙だらけに組んである。古人の工夫には、いつも頭が下がる。」
骨の組み方、糊をどこにつけるか、折り目に何を来させないか——どれも三十六年で身体が断定している事柄です。その人物が「〜のだろうと思う」で締めるのは、怯えた弟子の心理ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。骨の段では「わざと隙だらけに組んである」までは断定で良いのに、直後に「古人の工夫には、いつも頭が下がる」と感想へ逃げる。決めている人に決めさせてください。
「百年経った和紙が、切れずに残っていた。茶色く焼けて、糊は乾ききっているのに、帯はまだ二枚の扇をつないでいた。」
ここが本稿の最も良い場面なのに、観察が「茶色く焼けて」で止まっている。実際に古い屏風を解いた手なら、もっと出るはずです——帯が何本あって何本切れていたのか、起こすとき湿しを当てたら糊が戻ったのか戻らなかったのか、紙が手の中でどんな音を立てたのか。「驚くほかない」と感想で締めず、起こす指の動作を一つ書けば、驚きは勝手に立ち上がる。前作で「撫で刷毛の筋が残っていた」と書けた人が、なぜここで筋を見ないのか。
「折り目に大事な顔や枝が来ないよう、絵柄と折りの位置を先に決めておく。」
「大事な顔や枝」は一般論で、この一隻の絵ではない。本紙を貼り込んだ屏風が具体的に一つあれば——たとえば梅の枝が二扇目から三扇目へ折り目を越えて伸びている、その折り目には花のない枝だけを来させた、というような——設計が手の判断になる。いまは「設計とはそういうものなのだろう」という教科書の囲みで、誰が書いても同じ。前二作の強みは、昭和六十三年のソウルの見出し、梅雨に十一日待った板、といった一個の固有物でした。本稿の本紙には、まだ何も描かれていない。
「紙の蝶番こそ、表具の知恵の結晶なのだ。私はその知恵に支えられて、三十六年やってこられた。先人に、ただ頭が下がるばかりである。」
第一段で言った讃歌を、最終段でもう一度、しかも「結晶なのだ」と判子を押して回収しています。これは前作たちが避けたはずの型です。前作の結びは「覚えているのは、裏のほうだ」「誰も見ない側のことばかりだ」と、固有の三つを並べて終わった。主題は名詞で言い切らず、覚えている物の名前で運ぶこと。「知恵の結晶」と書いた瞬間、紙蝶番も浮け張りも百年の帯も、ぜんぶ「知恵」という一語に潰れてしまう。
「私はその知恵を、ただ受け継いできただけだ。」
謙遜のかたちをした保険です。「ただ受け継いできただけ」と先に言っておけば、踏み込んだ断定をしなくて済む。だが前二作の語り手は、突っ張らせて解かれた一幅、引手の一ミリ、と自分の失敗と決め事を具体的に出していた。受け継いだだけの人に、表に一本・裏に一本の段違いは説明できない。あなたはその手を持っている。卑下で入らず、手から入ってください。
残すべきは四つ。表裏に段違いに掛けて両方向に折る紙蝶番、押せばたわむ木の格子、真ん中を浮かせる浮け張りの空気、百年焼けて切れずに残った帯。削るべきは、「先人の知恵」「古人の工夫」「昔の人」の讃歌三連発、留保語尾、最終段の「知恵の結晶」という主題解説、冒頭の「受け継いできただけ」という保険。改稿では、紙蝶番をなぜ表に一本・裏に一本掛けるのかを掛ける手の動作で書き、百年の屏風の段では帯を起こす指を一つ書いてください。意味は動作が運ぶ。讃歌が運ぶのではない。