ヤクモソウスケ(58歳・表具師36年)
表具の仕事を三十六年してきた。書や絵を掛軸や額に仕立て、襖を張り替える。そのなかに、屏風がある。屏風の継ぎ目には、金具が一つも入っていない。蝶番はぜんぶ紙だ。これを最初に親方の手元で見たとき、私は折れる方向を間違えると思った。
紙蝶番は、和紙を細く裂いた帯を、二枚の扇のあいだに段違いに掛けてつくる。帯の一本は、こちらの面で右の扇に貼り、表に渡して左の扇に貼る。もう一本は、屏風を裏返して同じことをする。表で一本、裏で一本。掛ける高さを互い違いにずらすのが肝で、揃えて掛けると、開いたとき帯どうしが食い合って継ぎ目が浮く。表に一本、裏に一本、段をずらす。それだけで、継ぎ目はこちらにも、あちらにも折れる。
屏風の中身は、木の格子だ。細い木を縦横に組んだ骨で、指で押すとたわむ。弟子に入った年、私はこれを頼りないと思い、親方に「板にしないんですか」と訊いた。板にしたら畳めない、と返ってきた。それきりだった。骨を隙だらけに組むのは丈夫さのためではなく、畳んで運ぶためだと、押してたわむ骨を持って覚えた。
骨の上には、何層も紙を張る。骨に直に張るのが骨縛り、その上が胴張り、いちばん表の本紙を支えるのが浮け張り。浮け張りは、紙の周囲だけに糊をつけ、真ん中を浮かせて張る。べた一面に貼るほうが速いし、見た目は同じだ。だが梅雨に湿気が来ると、べた張りの面は膨れて波を打ち、浮かせた面は打たない。紙と紙のあいだの空気が、湿気の逃げ場になる。指で表を押すと、浮いている面だけ、ぽこ、と乾いた音がする。
本紙を貼り込むときは、折り目を読む。去年仕立てた六曲一隻は、梅の古木が二扇目から四扇目へ枝を伸ばす絵だった。私は折り目が幹の太いところに来ないよう、扇の割りを五分ずらした。畳めば折り目に幹の節が当たり、そこから本紙が割れる。広げて見せるのは絵だが、私が決めるのは、畳んだとき折り目に何を来させないか、だ。三扇目と四扇目の折り目には、花のついていない枝だけを通した。
先日、百年ほど前の屏風の修理が来た。古い表具を解き、紙蝶番を起こす。湿しを当てて待ち、帯の端を爪で起こすと、茶色く焼けた和紙が、ぴり、とも切れずに上がってきた。六曲で帯は十二本、切れていたのは一本だけ。糊は乾ききって粉になっていたのに、帯そのものは指の中でまだ強かった。前の表具師が、表に一本、裏に一本、段をずらして掛けた手が、百年そのまま残っていた。
修理を終えて、畳んで、また広げる。継ぎ目はこちらにも、あちらにも折れる。表に立つのは梅の絵で、私が掛けた帯は一本も見えない。百年後、誰かがこの屏風を解いて帯を起こすとき、私の段違いが出る。十二本のうち何本残るかは、私には分からない。
三十六年で仕立てた屏風は、掛軸ほど数はない。表に出るのは絵で、紙蝶番も浮け張りの空気も、誰も見ない。覚えているのは、押してたわんだ骨。浮いた面の、ぽこ、という音。折り目に花を来させなかった梅の枝。百年焼けて、十二本のうち十一本が切れずに上がってきた帯。