核は強い。百年前の旧い裏打ちを剥がして前の表具師の刷毛の運びと対面する場面、糊の濃さで紙が突っ張るか剥がれるかが決まること、仮張りの板で紙が伸び縮みする時間。この三つは、裏を見続けた人間にしか書けない。問題は、書き手がその三つを信用せず、「縁の下の力持ち」という出来合いの額縁に絵を入れてしまい、最後にその額縁を自分で指差して終わっていることだ。とりわけ惜しいのは、糊と刷毛と板を手で扱うはずの表具師を語り手にしながら、肝心の動作が伝聞と概念で書かれていること。職業エッセイは、職業の手つきで嘘をつくと全部が嘘に見える。
「裏が表を生かすのだ——その一枚の紙が、私をいまの私にしてくれた。仕事場の糊の匂いは、今日も静かに漂っている。」
成長譚の判子を自分で押して終わっています。「私をいまの私にしてくれた」は、どの起源神話エッセイの末尾にも貼れる汎用シールで、ヤクモソウスケである必然がない。匂いの余韻で締めるのも、感慨の偽装です。読者に渡すべき余白を、作者が先に埋めてしまっている。
「表具師は縁の下の力持ちだと、よく言われる。本紙より目立ったら失敗だ、と親方に教わった。脇役に徹してこそ主役が生きる。」
「縁の下の力持ち」「脇役に徹してこそ主役が生きる」は、表具にかぎらず裏方仕事すべてに使い回せる常套句です。これを冒頭近くで掲げてしまうと、以後の具体的な工程が、すべてこの標語の例証に見えてくる。本物の表具師なら、抽象的な美徳ではなく、たとえば「軸を巻いたとき本紙に折れが出ない裂の厚み」のような、目立たないことの実装を語るはずです。標語が観察より先に立っている。
「味のある仕事だったと思う。」「味のある匂いを漂わせていたのだと思う。」「文法のようなものがあるのだろうと、私は思った。」「地味な工程の積み重ねなのだと思う。」
三十六年やってきた職人の回想が「〜と思う」「〜のだろう」で薄められているのは、回想する人物の慎ましさではなく、断言を避ける作者の保険に見える。とりわけ「味のある」は二度出てきて、しかも何が味なのかを一度も示していない。糊の壺なら、いつ炊いたか、表面がどう乾いて膜を張っているか、匂いが酸いか甘いかを言えるはずです。「味のある」は観察を放棄する言葉です。
「仕事場の隅には、いつ炊いたとも知れない糊の壺が並んでいて、味のある匂いを漂わせていたのだと思う。」
「いつ炊いたとも知れない」は概念であって観察ではない。古糊は粘りが落ちて柔らかいと、二行上で本人が説明しているのだから、何年物の壺かは古糊の使い手にとって最重要の情報のはずです。実際にその仕事場にいた人間なら、「十年寝かせた壺」「親方が弟子入り前から継いでいる壺」のように、年月が具体で出る。年月をぼかした瞬間、語り手はその壺を見ていないことが露見します。
「糊を引いた刷毛を、本紙に触れさせず裏の紙だけに当てて、空気を抜きながら撫でていく。」/「その加減を、親方は「手が覚える」としか言わなかった。」
裏打ちで撫でるのは、糊を引いた刷毛ではなく、糊のついていない撫で刷毛(打刷毛・撫で刷毛)のほうです。糊刷毛で本紙の上から撫でたら、本紙が糊で汚れる。道具の名と役割を取り違えているので、この核心の場面が、表具を見たことのない人間の作文に見えてしまう。「手が覚える」で済ませているのも逃げで、加減を語れないなら、加減で失敗した一回を書くべきです。突っ張った軸、剥がれた裏紙——失敗には固有名があります。
「その人も、本紙の裏で、誰にも見られない仕事をしていたのだ。」「表具とは絵を仕立てる仕事だと思われがちだが、本当は、絵を何年生かすかを決める仕事なのだと、いまでは思う。」
前者はぎりぎり許せるが、後者は完全に解説文です。百年前の刷毛の運びと対面する場面が、すでに「裏は残る」という主題を全部運んでいる。同じことを抽象語で言い直すたびに、剥がした旧裏打ちの値打ちが下がっていく。エッセイの主題を主題文として書いたら、それはもうエッセイではなく要約です。
「私はしばらく、その意味を考えていた。」
この一文は、第一稿に二度出てきます。しかも校閲者の回想にも料理人の回想にもそのまま置ける汎用文です。考えていた中身——「手が覚える」とは何を覚えることなのか、百年前の表具師は新糊を使ったのか古糊を使ったのか——を書かなければ、人物の思考は存在しないのと同じです。同じ逃げ文を二度使ったことが、この稿の手癖を象徴しています。
残すべきは三つ。旧い裏打ちを剥がして前の表具師の刷毛と対面する場面、糊の濃さで紙が突っ張るか剥がれるかの一線、仮張りの板で紙が伸び縮みする時間。削るべきは、「縁の下の力持ち/脇役に徹してこそ」の標語、二度の「味のある」と並ぶ留保語尾、最終段の主題解説、そして二度の「その意味を考えていた」。改稿では、裏打ちの撫で刷毛は糊のつかない刷毛だと正し、糊の壺には具体的な年月を与え、「脇役」という言葉を一度も使わずに脇役であることを動作だけで示してください。意味は動作が運ぶ。標語が運ぶのではない。