刃物の、火(第二稿)
椀を挽く刃は、月に何度か火の前で生まれ直す

ヤマガコウタ(46歳・木地師24年)

椀の内側を削る鉤型の刃は、店には売っていない。だから自分で打つ。月に何度か、私は轆轤に布をかけ、火の前に座る。木の粉が舞う部屋で火は焚けないから、挽く日と打つ日は混ぜない。挽いた日の指先は乾いて白い粉をかぶり、火の日の爪の間には、夜になっても鉄と炭の匂いが残る。同じ二本の手で、ひと月のうちに木と鉄を行き来する。

刃の本体は地金、刃先になるところに鋼を付ける。鍛接という。地金と鋼を重ねて火に入れ、色で温度を読む。暗い赤は早い。橙を越えて、藁を焼いたような明るい黄に差しかかる、その手前で出す。数字はない。色が温度だ。

取り出してすぐ鎚を入れる。付くときは、一打目から手応えが鈍く重い。地金と鋼が一枚になって、鎚が餅でも打つように沈む。付かないときは、打った瞬間に手首へ甲高い反動が返ってきて、二枚がまだ別々だと指が先に知る。早ければ付かず、過ぎれば鋼が黄を越えて白く爆ぜ、焼け落ちる。何百本打っても、火に入れる前の一呼吸は短くならない。

付いたら、刃を鉤の形に曲げる。椀の内側のカーブは、この曲率がそのまま決める。市販の刃が使えないのはここで、自分の挽き方に合った曲がりを一本ずつ作る。私は足の送りが速いから、刃先はわずかに浅く起こす。親方は送りが遅い人で、刃はもっと深く立っていた。曲がりを見れば、誰の手の刃か分かる。

最後に焼き入れる。熱した刃を水に落として急に冷ますと、鋼が硬くなる。硬すぎる刃は、木の節に当たった瞬間にぱきりと折れる。柔らかすぎる刃は、挽いているうちに刃先が寝て切れ止む。折れる刃と、曲がる刃。その間の一点に水から上げ、焼き戻して粘りを戻す。水に入れる音と、立つ湯気の量で、入りすぎたかどうかが分かる。それでも、毎回ここで指が冷たくなる。

打った刃も、毎日使えば切れ止む。朝、挽く前に砥石に向かう。難しいのは、刃が鉤型に曲がっていて、砥石は平らだということだ。平らな面に曲がった刃先は一点でしか当たらない。だから刃を寝かせて手首で弧を送り、当たる一点を刃先沿いに滑らせていく。手首の回し方を一定にしないと、研ぎ目がまだらになる。中砥は真ん中ばかり減るので、月に一度は別の石で面を直す。冬の朝は研ぎ汁の水が冷たく、研ぎ終わるころには指の感覚がない。

道具箱には、先代から譲られた刃が何十本も眠っている。親方が亡くなったとき形見にもらったが、どれもすぐには使えなかった。親方の刃は親方の送りのために深く曲げてあって、私の手では角度が合わない。一本ずつ、砥石で少しずつ起こし、自分の浅い曲率に寄せていく。一本を直すのに、季節をいくつもまたぐ。他人の手を、自分の手に研ぎ替えていく年月だった。

先月打った新しい一本も、最初の何椀かは手とよそよそしかった。今朝、それで五つ目の椀を挽いた。回る木に当てた刃が、足の送りに遅れず付いてきて、白い木地に螺旋が一本、毛羽立ちもなく立った。指で内側をなぞると、段がない。布をかけた轆轤の前で、私はその椀を伏せて、次の荒挽きを据えた。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。