ヤマガコウタ(46歳・木地師24年)
木地師を二十四年やっている。回る木に鉤型の刃を当てて、椀の内側を削り出す。塗師が漆を塗る前の、木の椀をつくる人間だ。仕上げの塗りで隠れるが、削っている最中の白い木地には、刃が通った螺旋が一本、内側を巻いて立っている。
使う刃は自分で打ち、自分で研ぐ。鉤の曲がり具合は決めた形に研ぐが、椀のカーブそのものは刃の形では出ない。回る木のどこに、どの角度で、足の踏みでどれだけ送るか。足が速ければ刃は深く食い、遅らせれば薄く撫でる。轆轤の足と、刃を持つ手。この二つが合わない日は、いくら研いでも木の肌が毛羽立った。
弟子入りは二〇〇二年、二十二歳の秋。最初に親方が土間から転がしてよこしたのは、轆轤でも刃でもなく、欅の丸太だった。木口に、中心の詰んだ年輪が三十ほど。私がどこを椀にすればいいか分からず立っていると、親方は言った。「木は丸太のうちから椀だ。どこを椀にするか、木が決めてる。お前は見つけるだけだ」。それだけ言って、奥へ行った。
その晩、私は木口の年輪を指でなぞりながら、丸太のどこに椀が眠っているのか、本当に一生見えないかもしれないと思った。木取りは、年輪の詰まりと繊維の向きを読んで、椀を取る場所を決める作業だ。木目の素直なところを取れば、乾いてからも狂わない。逆らえば、寝かせている間に割れる。木の都合に人が合わせる。年輪は、私の都合を一度も聞かなかった。
取った木地はすぐ仕上げない。粗く椀の形に挽いて、欅なら一年、栃ならもっと、土間の棚で寝かせる。木は乾く間に縮み、歪み、割れる椀は割れる。割れるものを先に割れさせてから、仕上げに入る。最初の冬、私が急いで仕上げた椀は、半年後、客の手元で口縁が裂けたと戻ってきた。木はまだ動いていたのだ。
仕上げ挽きは、足の速度を落として刃を送る。指を椀の壁に当て、もう片方の指を外に添えて、二本で厚みを挟んで読む。薄いところと厚いところの段が、指の腹に伝わる。ある一椀を、私は薄く挽きすぎて、底に光の点が滲んだ。穴ではない。ぎりぎり穴になる手前まで木がなくなって、向こうの窓が透けたのだ。怖くなって手を止めた。親方はそれを見て、「そこまで挽けるなら、そこで止めろ」と言った。
削った木地は塗師に渡す。漆が乗れば、螺旋も、指で読んだ厚みの段も、見えなくなる。だが厚みが揃っていない木地に漆は均一に乗らない。塗師は私の名を知らないし、客は私の名も塗師の名も知らない。透けるまで挽いたあの一椀も、いまはどこかの家で、ただの黒い椀として汁を受けているはずだ。
二十四年、削った椀は数え切れない。覚えているのは、戻ってきて裂けていた最初の椀と、窓が透けたあの一椀だ。今日も足で轆轤を回し、刃を送る。木のどこに椀があるかは、いまも木が決める。私は、まだ見つけている。