核は強い。任意の理由欄を裏まではみ出して埋める人と、白いまま出す人。闘病記のカードの欄の取り違えと二重線、紙の裏まで凹んだ筆圧。黄色い表紙・ねずみ・パンという特徴だけの絵本同定。そして電話で「本」ではなく「資料」と言う作法。この四点でこのエッセイは立つ。問題は、書き手がその四点を信用せず、末尾でわざわざ主題を言葉にして回収し、しかも肝心の「読んでしまう」処理を都合よく濁していることだ。司書という設定の手つきが、いちばん効く場所で緩む。
「残さないことで、私はその人の暮らしを、開かずに棚へ戻している。それが司書という仕事の、静かな作法なのだと、いまでは思う。」
デビュー作の「開かずに棚に戻す手つき」を、最終段で語り手自身が標語として唱え直してしまっています。「静かな作法なのだと、いまでは思う」は、この書き手の三本すべての末尾に貼れる汎用シールで、リクエストカードである必然がない。読者が場面から受け取るべき手つきを、作者が概念に言い換えて先に渡してしまう。前作レビューで指摘された「主題を主題文として書く」病が、また出ています。
「カードは、本そのものより雄弁だ。窓口に立つたび、私はその薄緑の紙を、人生の断片そのものとして受け取っている。」
「人生の断片そのものとして受け取っている」は、まさに依頼の核を作者が解説台詞にしてしまった一文です。筆圧が紙の裏まで凹む描写を一度書いたなら、それでもう「雄弁」は読者の中に立っている。「人生の断片」という抽象語を足すたびに、二重線や凹みという具体の値打ちが下がる。断片は見せるものであって、名指すものではない。
「筆圧というのは、こんなに正直なものかと思う。」
凹んだボールペンの跡という強い具体のすぐ後ろに、「正直なもの」という安い感慨を貼って意味を保証しにいっています。十二年カウンターに立った人間が筆圧から受け取るのは「正直」という徳目ではなく、もっと事務的な観察——次の利用者の指がその凹みに引っかかる、とか、カードを束ねると裏写りで下の一枚が読める、とか——のはずです。感慨が観察より先に立つのは、生成された“それっぽさ”の典型。
「立ち入らないことが、たぶん、礼儀なのだろう。」「理由欄の空白も、また一つの理由なのだと思う。」
レファレンスは、当たりをつけ、絞り、断定で一冊にたどり着く仕事です。その語り手の述懐が「たぶん」「〜なのだろう」「〜なのだと思う」で薄まるのは、若手の迷いの描写ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。とくに「資料、と言う」作法を語る箇所では、語り手は研修で叩き込まれた断定を持っているはずで、「たぶん、礼儀なのだろう」と逃げた瞬間に、職業の背骨が抜けます。
「同定の作業に半日かかった。黄色い表紙、ねずみ、パン。絵本のデータベースを舐めるように繰って、出版年で当たりをつけて、三冊に絞って、書影を取り寄せて、ようやく一冊にたどり着いた。」
ここは依頼の核なのに、手続きが「舐めるように繰って」「当たりをつけて」と概念のままで、実際の手の動きが一つもない。本当にやった人間なら、件名標目で引いたのか、内容紹介の全文検索に「パン」を入れたのか、絵本の総合目録(たとえば特定のレファレンス・ツール)に当たったのか、具体が一つ出るはずです。そして決定的なのは、たどり着いた絵本の題名を最後まで書いていないこと。題名を伏せるのが作法なら、それを伏せると一行で決めればいい。何となく書かないのは、作者がその一冊を実は持っていない証拠に見えます。
「窓口で受け取るとき、私は表の三行しか読まない決まりだ。けれど紙はめくれる。裏に字があれば、目に入る。入ってしまう。」
デビュー作のレシートでは「読むつもりはなかった/目が勝手に滑った」という葛藤が肉体で書けていた。ここではそれを「紙はめくれる」「入ってしまう」と機構のせいにして、語り手の手を免責しています。だが闘病記の裏面や、絵本の理由欄の長文を「目に入る」程度で読み切れるはずがない。実際にはレファレンスのために理由を読まざるを得ない——黄色い絵本は理由欄こそが唯一の手がかりなのだから。守秘(記録に残さない)と、業務上どうしても読む、という二つの矛盾こそがこの題材の急所なのに、第一稿は「うっかり目に入る」で薄めて、急所を避けてしまっている。
「気持ちは、どこにも残らない。」
この一文は、看護記録のエッセイにも、相談員の回想にも、そのまま置けます。この語り手に固有なのは「レファレンス記録には、探した経路だけが残り、理由の欄は転記されない」という帳簿の事実のほうです。汎用の詠嘆ではなく、記録様式という具体で言えば、気持ちが残らないことは説明せずとも立つ。
残すべきは四つ。裏まで凹んだ筆圧と二重線の闘病記カード、「ねずみ・黄色い表紙・パン」だけで来た無署名のリクエスト、半日かけた同定(ただし手の動きを具体で、題名は伏せるなら伏せると決めて)、そして電話の「資料、と言う」作法。削るべきは、「人生の断片そのもの」と「静かな作法なのだと、いまでは思う」の二度の主題解説、「正直なもの」「気持ちはどこにも残らない」の汎用詠嘆、留保語尾。そして最大の改稿点——「目に入る/入ってしまう」で逃げず、業務として理由を読むことと記録には残さないことの矛盾を、語り手の手で引き受けて書くこと。読む司書を免責しないでください。意味は、読んでしまった手が運ぶ。