手のほうが先に覚えてた
——文化祭、ヤマモトの五日

※本エッセイはすべて創作です。登場人物・学校・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる個人・組織とも関係ありません。

ヤマモトケンタ

3組の後ろの席。バスケじゃなくて野球。文化祭の出し物はたこ焼き屋。当日は鉄板担当。

本当は、こんな話を書く気はなかった。書くならタケウチのほうが上手い。けど、書いとかないと自分でも忘れそうだから書く。

3日前——「お前が考えろよ」のあと

スローガン会議の日。タケウチが前に立って「うちのクラスだけの言葉にしたくない?」って言って、教室がしーんとなったとき、俺が「じゃあお前が考えろよ」って言った。

あれ、本当はそんなにキレてなかった。俺はキレるとき声が低くなるタイプで、あのときは普通の声だった。だから本気で怒ってたわけじゃない。

ただ、タケウチがちょっと背伸びしてる感じがして、それを引き戻したかった。背伸びしてるやつが滑るのは見たくない。同じクラスの人間として。

でも結局、滑らなかった。タケウチは滑らずに45分かけてスローガンを着地させた。

帰り道、自転車を漕ぎながら、なんかちょっと気まずかった。「お前が考えろよ」って言ったけど、お前、ちゃんと考えたじゃん。

俺、別にあいつのこと嫌いじゃねえし。

そう一行思って、ペダルを強く踏んだ。それで終わりにした。

2日前——キャベツとガス缶

仕込み。教室に居残って、キャベツを刻む人、ボウルを洗う人、機材を運ぶ人。俺はガス缶担当。重い。

ガス缶を運んでるとき、サカモトが「重くない?」って声をかけてきた。委員長。重い。当たり前だろ。でも「軽い」って言った。なぜか。

たぶん、男ってそういう生き物だから。重いと言ったら負けな気がする。負けって何にだよ。誰にも負けてない。重いものは重いだけだ。

でも、重いのを「軽い」って言うとき、俺の手はちゃんと重さを覚えてる。口は嘘をつくけど、手は嘘をつかない。これは大事なことだと思う。後で書く。

前日——準備で角田と

前日の放課後、教室で最終チェック。普段あんまり喋らないカドが、キャベツを切る係だった。包丁の音だけがする。トン、トン、トン。

俺がガス缶のバルブを締めながら、なんとなく「お前、キャベツ刻むのうまいな」って言った。

カドは手を止めずに「うん」って言った。それだけ。

俺は「なんで」って聞いた。

カドは少し考えて、「家でやらされてるから」って言った。

それで会話は終わった。たぶん俺たち、初めてちゃんと話したと思う。3年同じクラスで。

家でやらされてるから、上手い。それで十分な答えだ。練習量は嘘をつかない。これも手の話だ。

当日——鉄板の前

朝、教室に来たら、入り口の壁にスローガンが貼ってあった。タケウチが言い出したやつ。模造紙、マジック、字がちょっと曲がってる。

俺は読まなかった。背中に貼ってあると思って、振り返らないことにした。

鉄板担当、開始。油を引く。生地を流す。タコを入れる。クルッと返す。

最初の30個は失敗した。火加減がわかんない。焦げる、生焼け、形が崩れる、いろいろ。

50個目くらいから、手がリズムを覚えた。3列×6個の鉄板を、左から右へ、上から下へ、回す順番が決まってきた。考えなくても手が動く。

俺、これ、得意かもしれない。

こんなこと、生まれて初めて思った。バスケ部にもなれず野球部もぱっとしなくて、勉強もまあまあで、何が得意ですかって聞かれて答えられない人生を17年やってきた。

たこ焼きが得意です。鉄板の前で。

これが17年目の答えって、どうなんだよ。でも、手は知ってる。リズムを刻める。煙の色で焼き加減がわかる。タケウチが「45分かけてスローガンに辿り着いた」のと同じ強度で、俺は3時間かけて鉄板に辿り着いた。それでいいだろ、もう。

当日午後——他クラスの女子

午後3時頃、他のクラスの女子3人組が来た。「うわ、おいしそー」とか言いながら、全員1個ずつ買って、その場で食べた。

1人が「めっちゃ上手いですね、焼き方」って俺に言った。

俺は「あざす」って言った。なんで「ありがとう」じゃなくて「あざす」なんだよ。雑すぎる。でも口はそう動いた。

でも内心、超嬉しかった。「めっちゃ上手いですね」。生まれて初めて、知らない人に「めっちゃ上手い」って言われた。何かの。たこ焼きの。

たこ焼きで「上手い」って言われたって、人生のなんの足しにもならない。就職に関係ない。受験に関係ない。彼女ができるわけでもない。

でも俺は、その「あざす」のあと、たこ焼きを焼く手の動きが、ちょっと丁寧になった。誰も見てないけど。タコを置く位置を、生地のど真ん中にした。それまでは適当だった。

言葉が手を変えた。言葉も、手を変えるんだ。たこ焼きの真ん中にタコが置かれて、それは目に見える違いだった。

当日終了——212個

結局、212個。300には届かなかった。

片付けの途中で、カドが「212個って中途半端だな」って言った。

普段あんまり喋らないカドが、しかも疲れてる時間帯に、何か言った。それが「中途半端だな」だった。

俺は何か返さなきゃと思った。沈黙したらカドが恥ずかしい思いをする。だから反射で言った。「来年は300いくだろ」。

来年もたこ焼き屋やるかわかんないし、俺らが来年もこの教室にいるかわかんないし、そもそも300とかいう数字に意味はない。でも反射で言った。

カドはちょっとだけ笑った。それでよかった。

言葉って、意味を運ぶためじゃなくて、沈黙を埋めるために存在することもある。「お前が考えろよ」もそうだったかもしれない。俺は本気で言ったわけじゃなかった。場の重さに耐えられなくて、口が勝手に動いただけ。

タケウチは「盛らない言葉」を探してた。俺は「沈黙を埋めるための言葉」を、たぶんずっと使ってきた。中身がない言葉、と言われればそうだ。でも、必要な空気はあった。

翌日——油の匂い

翌日。学校。授業。普通の日。

でも俺の手は、まだ油の匂いがした。シャワー浴びたのに。爪のあいだとか、指紋の溝とか、そういうところに残ってる。

授業中、シャープペンを持ってる手を見て、これは昨日たこ焼き212個焼いた手だな、と思った。

誰にも言わない。言ったら台無しだ。

でも自分の手を、自分で「これは昨日212個焼いた手だ」と認識する瞬間って、人生にそう何度もないと思う。

俺の人生で、自分の手をちゃんと見た日って、たぶん昨日が初めてだ。

17年使ってきた手。野球のグローブを掴んだ手。シャーペンを持った手。スマホを撫でてきた手。

その手で、昨日、212個焼いた。

2日後——体育で走りながら

体育の授業。1500m走。

走ってると、頭の中でリズムが鳴ってきた。タッ、タッ、タッ、タッ。鉄板の上の生地を、お玉でならすときの音だ。

俺は走りながら、たこ焼きを焼いてた。脳内で。

1500mのタイムは、いつもよりちょっと良かった。

たこ焼きで体育のタイムが伸びるって、関係なさすぎる。でも関係あった。手が覚えたリズムは、足にも伝わる。体は全部つながってる。

タケウチは45分で言葉を作って、その言葉を壁に貼った。俺は3時間で手のリズムを作って、そのリズムが今日の足を動かしてる。

どっちが偉いとかじゃない。両方ある。両方違う。

数日後——タケウチに何か言いたい

授業の合間、タケウチが廊下を歩いてた。

俺は声をかけようとして、何を言うかが決まってなかった。「お疲れ」とか「212個だったな」とか、いろいろあるけど、どれもしっくりこない。

結局、すれ違いざまに「よ」って言った。

タケウチは「よ」って返した。

それで終わり。

でも、伝わったと思う。「お前のスローガン、悪くなかった」も「俺は鉄板で頑張った」も「あの『お前が考えろよ』はキレてたわけじゃない」も、全部「よ」の一文字に圧縮した。

圧縮しすぎて、たぶんタケウチには2割も届いてない。でも0じゃない。0と2割は、無限大の差がある。

言葉は手にかなわない。
でも、手が動かないとき、言葉はちゃんと一文字くらいは運べる。

「よ」。一文字。それで十分。たこ焼き212個と同じ強度で、「よ」の一文字を渡した。それでいい。

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このページの記事はAI(Claude)を用いて作成・編集されています。ヤマモトケンタは架空の人物です。