ピアノの、四人
二百五十キロを、誰も弾かないまま運ぶ

ヤナギダコウスケ(38歳・引っ越し作業員16年)

アップライトピアノの搬出は、四人の仕事だ。約二百五十キロ。冷蔵庫が一人、洗濯機が二人、ピアノは四人。重さの数字がそのまま頭数に変わる仕事で、ピアノだけは別格だった。見積もりの段階で別料金になり、伝票には「ピアノ運搬」と一行、ぽつんと足される。その一行が出ると、現場の空気が少しだけ静かになるような気がした。

だから事前の下見が要る。ピアノのある家は、見積もりの人間が必ず一度足を運ぶ。玄関の幅、廊下の曲がり、そして階段。階段はメジャーで実測する。踊り場の奥行きが八十センチを切ると、ピアノは切り返せない。九十センチあれば、四人で抱えて向きを変えられる。その数センチの差を、私たちは現場に入る前から数字で握っている。

運ぶ前に、まず巻く。養生の毛布をピアノの全面に回し、角は二重に当てる。鍵盤の蓋は開かないように養生テープで留める。動かす前に四脚のキャスターをキャスターボードに乗せ、ピアノベルトを本体に通して、二人が前、二人が後ろで担ぐ姿勢を作る。ベルトは肩に掛けるのではなく、腰で受ける。肩で受けると、階段で一度バランスを崩したとき、肩ごと持っていかれる。

合図は「セーノ」ではない。ピアノのときだけ、私たちは「いくよ、いち、に」と言う。「セーノ」だと、四人の力が同じ一点に集まりすぎて、かえって揃わない。「いくよ」で構え、「いち」で重心を移し、「に」で持ち上げる。三拍に分けると、四人の息が一本の線になる。誰が考えた符牒なのかは知らない。私が入る前から、現場ではそう言うことになっていた。

階段の踊り場が、いちばんの山場だ。四人で抱えたまま、踊り場でピアノの向きを九十度変える。前の二人が腰を落として軸になり、後ろの二人が弧を描いて回り込む。このとき誰も声を出さない。出すと、かえって力がぶつかる。実測した奥行きの数字を、今度は体で確かめながら、ピアノが壁を撫でるか撫でないかの隙間を通していく。

切り返せない家もある。そういうときは、窓からクレーンで吊る。吊り作業はさらに別料金で、伝票の一行がもう一行増える。「もう誰も弾かないんですけどね」と、依頼主はたいていそう言いながら、追加の料金に頷く。弾かないピアノを、わざわざ窓から吊り上げてでも、新しい家に運ぶ。その選択の重さを、私は腕で知っているような気がした。

新居では、ピアノの位置が最初に決まる。「ここに」と指された壁際に四人で据えると、不思議なもので、そこから他の家具の場所が決まっていく。ソファはピアノの正面、本棚はその横。ピアノが家の中心に置かれて、残りがそれに従う。誰も弾かないと言った家でも、その並び方だけは、まるでこれから音が鳴る部屋のようだった。

据え終えると、私たちは一枚の紙を置いていく。「運搬後は調律をおすすめします」。トラックの振動で、弦の張りはわずかにずれる。運んだ私たちには、そのずれは聞こえない。けれど、いつかこの家の誰かが蓋を開けたとき、音が少し狂っているかもしれない。その注意書きを置くたびに、私はこの家の誰かが、いつかまた弾く日を勝手に想像してしまうのだった。

弾かないピアノを運ぶということは、たぶん、家族の記憶を運ぶということなのだろう。子どもが小さかったころの音、発表会の朝の緊張、もう手放せない時間の重さ。二百五十キロの中身は、本当はそういうものなのだと思う。私は十六年、重さで家を読んできたが、ピアノだけは、重さの奥にもう一つの重さがある気がしてならない。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。