核は強い。寄進者の名を一個ずつずらして置く一画目、吊り込みで両端と真ん中を先に決めるという手順、肩車の子が指さす自分の家の名の下をつくった者の顔をせず通り過ぎる場面、そして去年も同じ場所が破れていたという回収時の発見。この四点で十分に一本立つ。問題は、書き手がその四点を信用せず、祭りの夜の郷愁という既製の叙情で場面を温め、最後に「毎年の循環なのだ」と自分で主題を貼って閉じてしまっていることだ。提灯職人という職業を語らせながら、ビニールカバーの一件を「胸を撫で下ろした」で逃げているのも惜しい。職業エッセイは、職業の手つきで嘘をつくと全部が嘘に見える。
「祭りの提灯は、一度きりの作品ではなく、毎年の循環なのだ。私はその輪の、ひと巡りずつに立ち会っているのだと思う。」
「毎年の循環なのだ」は、エッセイ全体が動作で見せようとしていたことを、抽象語で言い直した要約です。直前の段に「去年も同じ場所が破れていたな」という、循環を一発で立てる具体があるのに、その値打ちを自分で下げている。主題を主題文として書いたら、それはもうエッセイではなく要約です。最後の「来年もまた、同じ軒に、同じ名を吊るすのだろう」の留保も、決まった事実をわざわざ曖昧にしている。
「あの郷愁を誘う祭りの夜の灯りというのは、やはり何度見てもいいものだ。」
「郷愁を誘う祭りの夜の灯り」は、誰の祭りにも貼れる既製の絵葉書です。この書き手が本当に自分の提灯を見上げているなら、出てくるのは郷愁ではなく、昼間に白い光の下で見た紙が、夜の灯りで「思ったより膨らんで見える」「名入れの墨がにじんで見える」といった、つくった者にしか分からない誤差のはずです。直前に「つくった時とは別の顔」という良い芽があるのに、そこで止めて一般名詞の郷愁に流れている。
「提灯の本当の姿があるのかもしれない」式の——「立ち会っているのだと思う」「吊るすのだろう」「だんだんに思うようになった」
名を一画ずつずらして決め、吊り込みで両端と真ん中を先に決める人間は、断定で手を動かしている職人です。その回想が「〜と思う」「〜のだろう」で薄まると、決断を避ける作者の保険に見えてしまう。とくに見積もりの場面は、直すか張り替えるか組み直すかを職人が決める瞬間なのだから、こここそ断定で書くべきです。
「風情を取るか、紙を取るか。結局その夜は、雨はぱらついただけで済んだ。胸を撫で下ろした。」
これがこのエッセイ最大の取りこぼしです。せっかく「濡らしたくない職人」と「風情を欠くカバー」という具体的な対立を立てたのに、雨が降らずに済んで「胸を撫で下ろした」で流してしまった。葛藤を天気任せにして無効化している。本当に書くべきは、職人なら濡れた紙がどう傷むかを知っているということ——雨染みは乾いても輪染みが残り、骨際の糊が緩む——その知識があってなお、カバーで光らせたくないと迷う手つきです。決断したのか、しなかったのか。動作で書いてください。
「風で擦れて骨の出た縁、雨染みの残った面、虫が当たって破れた紙。」
三つ並べた傷が、どれも「ありそうな傷」のカタログで、手で触った具体になっていない。実際に点検した人間なら、どの提灯のどの名の面が、どう破れていたかを一つ挙げるはずです(「『田』の口の中の紙が、虫食いで丸く抜けていた」で済む)。三点を均等に並べるのは観察ではなく、それっぽさの調達です。次の段の「去年も同じ場所」という発見と、ここの傷を一つの具体で繋げば、循環は説明せずに立ちます。
「同じ字を百回書いても、一回ずつ違うのだ。」
これは結論を先に言ってしまう一文です。「山田」と「山口」で一画目の位置を変える、という具体がこの後に来るのに、先に「一回ずつ違うのだ」と要約を置くと、具体が結論の例証に格下げされる。順序を入れ替え、まず手を見せ、読者に「違うのだ」と気づかせるほうが効く。同じ構図が冒頭の「とりわけ手がかかるのが奉納提灯で」にもあります。
「乾く前に、迷わず置ききる。」
この一文は、デビュー作「火袋の、紙」にすでに「糊が乾く前に、迷わず置ききること」としてあった台詞の使い回しです。書道にも、左官にも、寿司にも置ける汎用の格言になりかけている。名入れ特有の動き——曲面で筆が逃げる、名前ごとに間合いが変わる——を書いた直後なのだから、ここは一般化せず、この提灯のこの名にしか起きないことで閉じるべきです。
残すべきは四つ。名前ごとに一画目をずらす指の判断、吊り込みで両端と真ん中を先に決める手順、肩車の子の下をつくった者の顔をせず通る場面、そして「去年も同じ場所が破れていた」という回収時の発見。削るべきは、祭りの夜の郷愁、留保語尾、ビニールカバーを天気で逃げる結末、最終段の「毎年の循環なのだ」という主題解説。改稿では、雨は降らせて構わない——降った雨の下でカバーを「かけた/かけなかった」を職人の知識とともに動作で決め、循環は説明せず、破れた一個の同じ面で見せてください。意味は動作が運ぶ。説明が運ぶのではない。