祭りの、納品
寄進者の名を入れ、神社で吊り込みに立ち会った夏

ユゲタマオ(29歳・提灯職人10年)

提灯をつくって十年になる。夏は祭りの提灯の季節だ。とりわけ手がかかるのが奉納提灯で、寄進者の名を一つずつ入れていく。今年は六十二個。同じ「奉納」の二文字を何度書いても、名前のほうは一個ずつ違う。

名入れの筆は、提灯用の長鋒を使う。膨らんだ面の上で、筆が逃げる。「山田」と「山口」では、同じ「山」でも次に続く字との間合いが変わるから、一画目を置く位置を毎回少し変える。同じ字を百回書いても、一回ずつ違うのだ。乾く前に、迷わず置ききる。

納品は、神社の境内で行う。氏子総代と宮司が立ち会うなか、拝殿の軒に張られた針金へ、提灯を一個ずつ吊り込んでいく。連なった提灯は、並びがすべてだ。一個だけ高さが違うと、そこに目が吸い寄せられて、全部が悪く見える。だから吊り込みは、端から順にではなく、まず両端と真ん中を決めて、あいだを埋めていく。

その日は、夕方から雨の予報だった。総代が言った。「ビニールのカバーをかけたほうがいいんじゃないか」。濡らしたくない気持ちは、つくった私のほうが強い。けれど、灯りの入った提灯にビニールをかけると、てらてらと光って、紙の柔らかさが死ぬ。風情を取るか、紙を取るか。結局その夜は、雨はぱらついただけで済んだ。胸を撫で下ろした。

祭りの夜、自分の提灯を見に行くかどうかは、年によって違う。行く年もあれば、行かない年もある。今年は、行った。灯の入った提灯は、つくった時とは別の顔をしている。昼間、工房の白い光の下で見ていた紙が、夜の参道で、内側からの灯りでほうっと膨らんで見える。あの郷愁を誘う祭りの夜の灯りというのは、やはり何度見てもいいものだ。

名を入れた六十二人のうち、何人が自分の名の提灯を見上げただろう。子どもが親に肩車されて、自分の家の名を指さしていた。私はその下を、ただの通りすがりの顔をして歩いた。つくった者だとは、言わなかった。

祭りが終わると、提灯は回収されて工房へ戻ってくる。一個ずつ、傷を点検していく。風で擦れて骨の出た縁、雨染みの残った面、虫が当たって破れた紙。来年も使えるか、張り替えるか、骨から組み直すか。修理の見積もりを立てながら、これは去年も同じ場所が破れていたな、と気づくこともある。

そうやって、祭りの提灯は毎年めぐっていく。つくり、納め、灯し、回収し、また直して、次の夏へ渡す。祭りの提灯は、一度きりの作品ではなく、毎年の循環なのだ。私はその輪の、ひと巡りずつに立ち会っているのだと思う。今年も無事に納められた。来年もまた、同じ軒に、同じ名を吊るすのだろう。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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