天草の、目利き
海から来た草を、寒天にする前に見る

ユウキコハル(39歳・寒天職人17年)

寒天は、天草という海藻から作る。けれど寒天屋の仕事は、煮るところから始まるのではない。煮る前に、海から来た草を見る。産地の違う袋がいくつも届いて、その一つ一つに手を入れて、今年の海の出来を確かめる。海が育てた草を、山の寒さが寒天にする。海と山は、こうして一本の糸でつながっているのだと思う。

仕入れの天草は、産地ごとに袋が分かれて届く。伊豆、紀州、それから海外産。同じ天草でも、産地が違うと煮え方が違う。伊豆のものは煮えが素直で、凝固する力が強い。紀州のものは粘りがあって、口あたりがやわらかい。海外産は安いぶん、煮ても固まる力が弱いことが多いように思う。一種類だけでは、よい寒天にならない。

等級は、まず色で見る。よく晒された草は赤みが抜けて、麦藁のような淡い色になっている。赤がまだ濃く残っているものは、晒しが足りない。それから、袋に手を入れる。指のあいだに通したときに、貝殻のかけらや砂、ほかの海藻が混ざっていると、ざらりと当たる。混ざりものの少ない草は、手のひらを滑っていく。最後に乾き。よく乾いた草は、握るとぱりぱりと軽い音を立てる。湿りが残っていると、その音が鈍い。

配合は、帳面につけている。今年の伊豆を何割、紀州を何割、海外産を何割。凝固する力の強い草と、粘りを出す草と、量をかせぐ草。それを混ぜて、ひとつの寒天の口あたりを設計する。固さは伊豆で、なめらかさは紀州で、というふうに。帳面には、その年その年の配合と、できあがった寒天の様子が、何年ぶんも縦に並んでいる。父の代からの帳面だ。

海藻は、年によって出来が違う。海水の温かい年は、天草の育ちが悪い。育ちの悪い年は、凝固する力も落ちる。すると、その不作のぶんを、配合の帳面で補わなければならない。海の不漁が、めぐりめぐって山の寒天の固さに響いてくる。自然というのは、本当によくつながっているものだと思う。

仕入れた草は、すぐには煮ない。まず洗って、天日に晒す。海から来たばかりの草は赤い。それを水にさらし、日に当て、また水にさらす。これを何度も繰り返すうちに、赤い色が少しずつ抜けて、白っぽくなっていく。晒しの回数と、使う水の量で、白さが決まる。晒しが足りないと、煮たときに雑味が出る。手間を惜しまないことが、よい寒天をつくるのだと思う。

倉庫には、何年ぶんもの天草が積んである。海は、毎年同じだけ草をくれるわけではない。不作の年は、どれだけ金を積んでもよい草が手に入らない。だから、出来のよい年に多めに仕入れて、寝かせておく。海の気まぐれに、山のほうが備えておく。倉庫の暗がりに積まれた袋を見るたび、これは保険なのだと思う。

仕入れた草は、煮る前に一本、口に入れて噛んでみる癖がある。噛むと、磯の味が口いっぱいに広がって、奥のほうにかすかな粘りが出てくる。この粘りの出かたで、煮たときの凝固する力が、だいたいわかる。舌で感じる粘りと、できあがる寒天の固さは、つながっている。指で見て、目で見て、最後は口で見る。

こうして、海から来た草を見ているうちに、私は気づいた。煮る前のこの目利きこそが、寒天づくりのすべてなのだ。よい草を見抜けなければ、どんなに上手に凍らせても、よい寒天にはならない。海が育て、私が選び、山の寒さが仕上げる。今日も倉庫には、来年の冬を待つ天草が、静かに眠っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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