アクツトモヤ(54歳・手打ち蕎麦屋30年)
大晦日の朝、勝手口を開けると、前の年から積んだ粉袋が壁いっぱいになっている。普段の朝に打つのは五キロ。今日はこれで五十キロを打つ。製粉所には十一月のうちに、いつもの倍の倍を頼んでおいた。袋の数を数えるのが、私の大晦日の最初の仕事だ。
大晦日は、力の出し方を変える。普段なら延し棒に肩の重さを丸ごと乗せて角を出すが、今日は乗せきらない。八割で止めて、その分を回数で稼ぐ。全部を朝に使えば、夕方、行列がいちばん伸びる時刻に腕が上がらなくなる。一玉ぶんの力を惜しんで、五十キロぶんの腕を残す。三十年で、それだけは身体が先に覚えた。
開店前から表に列ができる。私は打ち場から、その長さを横目で測る。釜の湯の濁りで今日もう何人手繰ったかがわかるのと同じで、列の伸びと、壁の残り袋の数を見れば、何時まで打てるかが読める。十二時に十袋なければ、二時で打ち止めだ。算盤は、毎年だいたい合う。
この日だけは、家族が店に入る。東京の息子が釜前、近所に嫁いだ娘が運び、女房が盛り付け、私が打ち場。年に一度しか組まない配置だから、息子の上げる蕎麦は締めが甘く、女房が無言で釜前に立ち直す。娘は運びが速すぎて、湯気を立てた丼を私の肘に当てていく。声を掛け合う暇はない。ぶつかり合いながら、それでも回っていく。
家で年を越す客には、生蕎麦を包む。打ちたてを経木で巻き、輪ゴムをかけ、女房の手書きの紙を一枚添える。「たっぷりの湯で一分半、すぐ冷水で締めて」。家の鍋は湯が足りないことが多いから、湯はけちらないで、と口でもう一言足す。同じ一言を、表の列に向かって何百回、口が勝手に動く。
二時前、壁の袋が尽きた。まだ列に十人ほど残っている。「申し訳ありません、本日は売り切れました」。札を、娘が表に出しにいく。残った半端な粉で薄く延ばせば、あと数玉は出せる。出せるが、出さない。薄めた蕎麦を年越しに出すくらいなら、頭を下げる。私はそう決めている。札を見て、列の客が黙って帰っていく背を、打ち場から見ていた。
暖簾を下ろし、釜の火を落とす。混む前に、五人ぶんだけ取り分けておいた蕎麦がある。残り物ではない。混む前に、いちばんいい状態の一玉を、家族のために先に抜いておいたのだ。誰も口をきかず、ただ手繰る。冷えていく釜が、ときどき小さく鳴る。表の列は、もういない。
元日は店を閉める。二日の朝、また五キロの粉を木鉢に空ける。袋は一つ。列もない。私は手のひらに粉を問いかける。今日のおまえは、どれだけ飲むのか。