アクツトモヤ(54歳・手打ち蕎麦屋30年)
日本の年の瀬というのは、どこか特別な静けさと慌ただしさが入り混じっていて、人の心をそわそわさせるものだ。大晦日。蕎麦屋にとっては、一年で一番長い一日が始まる。私はその朝も、いつもと同じ時間に木鉢の前に立った。
普段の朝に打つ粉は、五キロほどだ。大晦日は、その日だけで五十キロを打つ。十倍。だから粉は前の年のうちから手配しておく。製粉所に頼んで、いつもの倍の倍を、何袋も。届いた袋を積み上げて眺めると、これを今日一日で蕎麦に変えるのかと、毎年、肩のあたりが少し重くなった。
体力の配分が、この日の打ち方を決める。朝いちばんに全力を出すと、夕方の一番混む時間に腕が上がらなくなる。だから水回しも延しも、七分の力で長く続ける。三十年やってきて、大晦日だけは、いつもの「今日の粉に手で問いかける」打ち方とは少し違う。問いかけている暇がない、というのが、正直なところかもしれない。
開店前から、店の外には行列ができている。寒い中、白い息を吐きながら、みんな黙って並んでいる。「あけましておめでとう、はまだ早いね」と笑う常連の声がする。私はその声を聞きながら、釜の湯を見ている。この行列を、どの順で、どれだけの早さで回していくか。一日じゅう、その段取りだけを考えている。
大晦日は、家族総出だ。普段は私と女房の二人で回している店に、この日だけは、東京から帰ってきた息子も、近所に嫁いだ娘も入る。息子は釜前、娘は運び、女房は盛り付け、私は打ち場。年に一度の配置だ。声を掛け合う隙もないほど忙しいのに、不思議と、家族がそろっている、という実感だけは胸の奥にあった。
店で食べる客のほかに、生蕎麦を持ち帰る客も多い。家で年を越す人たちの分だ。打ちたての蕎麦を経木に包み、輪ゴムをかけ、その上に女房が書いた茹で方の紙を一枚添える。「たっぷりの湯で一分半、すぐ冷水で締めてください」。家の鍋では湯が足りないことが多いから、湯はけちらないでください、と一言だけ口で付け足す。その一言を、毎年、何百回言ったかわからない。
そして、売り切れ仕舞いの判断がくる。積み上げた粉が、残りわずかになる時刻を見極める。まだ並んでいる客がいるのに、もう打てる粉がない。「申し訳ありません、本日は売り切れました」の札を、娘が表に出しにいく。断るのは心苦しい。けれど、足りない粉で薄めた蕎麦を出すくらいなら、断るほうがいい。それが意地というものなのだろう。
店を閉め、暖簾を下ろし、家族で遅い年越し蕎麦を食べる。残り物ではない。混む前に、最後の一玉だけ、自分たちのために取っておいたのだ。誰も口をきかず、ただ蕎麦を手繰る。湯気の向こうで、除夜の鐘が遠く聞こえている。一年で一番長い一日の、最後の一玉。これこそが、私たち家族の一年の答えなのだと、私は思う。
元日は、店を閉める。嘘のように静かな一日だ。二日から、また通常営業が始まる。五キロの粉、いつもの朝。私はまた、木鉢の前で手のひらに粉を問いかける。明日もまた、同じ時間に。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。