編集部メモ
本ページは、『なんとなく、の、輪郭』第一稿に対する辛口レビューと、第二稿への改善方針を記録するものである。横山研の生成エッセイは「下書き→辛口レビュー→書き直し」の三稿を残す方針を取っている。本作も同じ流れに乗せる。
v1は約2400字。文字数自体は許容範囲だが、内側の構造に問題がある。シリーズ第1話「お疲れ様、を、英語で」と同じ型を踏襲した結果、型の見えやすさが先に目につく稿になっている。以下、十項目で論じる。
v1は、シリーズ第1話の構造(複数英訳の試行 → レイヤーの観察 → アメリカとの対比 → 「隣に、置いておく」での着地)をほぼそのまま再演している。これは安心して読める一方で、東が再び同じ思考の溝を辿っているだけ、という印象を生む。
「なんとなく」は、「お疲れ」よりさらに輪郭が薄い言葉のはずだ。にもかかわらずv1は、薄さを論じる文章なのに、整理整頓が利きすぎている。レイヤーの数を数え、英訳を一つずつ却下し、最後に「ちいさな装置」と命名する。文体そのものが「なんとなく」を裏切っている。
「Somehow」は、理由が分からないけれど何かが起きた、というときの言葉で……「Kind of」や「Sort of」はどうか……「For some reason」……「I just felt like it」……「Vaguely」は、そもそもこの場面で使う単語じゃない。
判定:5つの英訳を順に却下する構造が、第1話の「Good work / Take care / Have a good one / Thanks for your hard work / Cheers」と完全に同じ。テンプレが透ける。とくに「Vaguely」を最後に「そもそも使う単語じゃない」で切り捨てるのは、5つ揃えるための数合わせに見える。
v2の改善:英訳を網羅しない。せいぜい二つか三つ、それも「却下する」のではなく「ずれを感じる」程度に薄める。あるいは、英訳の試行そのものを大幅に短くして、別の観察に時間を割く。
「somehow」は理由不在のレイヤー。「kind of」は曖昧化のレイヤー。「I just felt like it」は衝動のレイヤー。「vaguely」は漠然のレイヤー。
……こういうレイヤーが入っていた。
・理由を言えなくはないけれど、言うほどのことでもない
・その日の気分が、お弁当のほうに、ふっと寄った
・断定するほどの選択ではない
・カナに、それ以上の説明を求めないでほしい、という、ちいさな依頼
判定:レイヤーを4つの箇条書きで並べた瞬間、「なんとなく」の薄さは消える。箇条書きは説明の道具で、輪郭を持たない言葉の輪郭を、強い罫線で囲ってしまう。さらに後段で「理由不在・曖昧化・衝動・漠然・予感」と5つに増える。数が一致しないのも、整理が雑なまま分類だけしている兆候。
v2の改善:箇条書きを撤去。レイヤーの分類そのものをやめて、ひとつの場面の中で、東が「うまく分けられない」ことを発見するに留める。分けようとして、分けられない、という運動だけを残す。
朝、家を出る前、母が「なんでこの服?」と聞いた……これは、選択の理由をぼかす「なんとなく」。
先週、カナに「あの先生、なんか苦手なんだよね」と言われて……これは、共感の「なんとなく」。
三日前、駅のホームで、なんとなく振り返ったら……これは、衝動の「なんとなく」。
先月、模試のあと……これは、予感の「なんとなく」。
判定:4つの場面を均等な分量で並べて、それぞれに「○○の『なんとなく』」とラベルを貼っている。これは作文の例示であって、観察ではない。場面が「分類のための例」に従属していて、場面そのものの手触りが薄い。「服」「共感」「衝動」「予感」と、想定される全方位を埋めにいっている。
v2の改善:4場面を並列しない。一つか二つの場面だけを、もっと具体的に書く。ラベル付け(「○○の『なんとなく』」)を撤去。場面が読者の頭の中で勝手にレイヤーを生むのを待つ。
ハッケンサックの教室では、何かを言うと、よく「Why?」と聞かれた。
「わたしはこのチームに入りたい」「Why?」。「この本がいい」「Why?」。「サンドイッチはこっちにする」「Why?」。
判定:「アメリカ人は理由を求める/日本人は曖昧を許す」という、最も使い古された比較文化論の図式そのまま。「Why?」を三回繰り返して見せる演出も、効きすぎていて反論を許さない。実際のハッケンサックの小学校は、もっと混在している。シリーズの東は、これまでもう少し細かい観察をしてきた人物のはずだ。
v2の改善:「Why?」の連打を撤去。ハッケンサックの場面を出すなら、もっと具体的な一場面(給食の列、図書の時間、休み時間の誰かの一言)に絞り、「だから日本は曖昧」という結論に運ばない。比較文化論にしない。
「なんとなく」は、理由を言わないままで応答を成立させる、ちいさな装置だった。
判定:「装置」は概念語。観察を概念に押し込んだ瞬間、「なんとなく」の輪郭の薄さは消えて、機能の名前が立ち上がる。さらに「ちいさな」をつけて柔らかく見せているのも、書き手の手つきが透ける。第1話の「機能している」と同じ位置に置かれた、お決まりの締め。
v2の改善:「装置」を使わない。「機能」「成立する」も控える。動詞で書く——「なんとなく」が、何をしているか、ではなく、どう運ばれていくか。
五音のあいだに、その日のレイヤーが、薄く折り重なって、相手のところに届く。届いて、「ふうん」と返ってくる。それで会話が、続いていく。
判定:冒頭で出した「ふうん」を結尾で回収している。技法としては綺麗だが、綺麗すぎる。「五音のあいだに」「薄く折り重なって」「相手のところに届く」と、三段階の比喩が連続して、書き手が情景を作りにいっているのが見える。「届く」「返ってくる」「続いていく」の三連も、リズムを整えにいっている。
v2の改善:冒頭の「ふうん」をそのまま結尾で回収しない。あるいは、回収するならもっと素っ気なく。「届く」のような移動の比喩を抑え、何が起きていないかだけを書く。
カナに答えた「なんとなく」のなかには、たぶん、こういうレイヤーが入っていた。
同じ五音が、別の場面で、別のレイヤーを薄く運んでくる。
明日もまた、わたしはカナに「なんとなく」と答える。母にも、たぶん「なんとなく」と答える。
判定:一文に読点が3〜4個入る箇所が多い。とくに「たぶん、」「ふっと、」「薄く、」のような副詞のあとの読点が、文体の癖になりすぎている。第1話・第2話・第3話の積み重ねで、この癖が量として目につくようになってきた。文体ルール「読点を多用しない」に正面から違反している。
v2の改善:副詞のあとの読点を機械的に減らす。一文中の読点を二つまでに。リズムが揃いすぎたら、一部の文を短く切る。
続いていく、ということが、たぶん、いちばん大事だった。訳せないものは、訳せないままで、隣に、置いておく。
判定:シリーズ番外編の結語として「隣に、置いておく」が定着しすぎている。第1話の発見だった言葉が、第5話では儀礼の挨拶になっている。読者は次に来るのを予想している。読点付きで「隣に、置いておく」と書かれた瞬間、文章ではなく、署名のように見える。
v2の改善:「隣に、置いておく」をそのまま使わない。同じ動詞でも別の運ばれ方にする。あるいは、結語を持たずに終わる。第7話相当の最終話で「隣に、置いて、答える」と回収する予定があるのなら、ここではむしろ温存する。
切れる、ということは、欠けている、ということではない。英語は英語の温度で、理由を言葉にする文化を機能させている。日本語は日本語の温度で、理由を言わないままで応答する装置を持っている。両方とも、それぞれのやり方で、会話を成立させている。
判定:「○○ということは、○○ということではない」「○○は○○の温度で、○○している」「両方とも、それぞれのやり方で」——LLMが書きがちな対句構文の連発。意味は通るが、人が考えながら書いた手つきがない。とくに「英語は英語の温度で」「日本語は日本語の温度で」の対称は、左右がぴったり揃いすぎていて、思考ではなく形式に見える。
v2の改善:対句構文を解体。左右を揃えない。一方だけを書く、あるいは片方を中途で切る。「機能する」「成立する」を別の動詞に置き換える。
カナは「ふうん」と言って、それで会話は終わった。
判定:カナの「ふうん」が、一語以上の手触りを持っていない。「なんとなく」の薄さを論じる文章の起点なのだから、相手の応答もまた、もう少し具体的に観察できるはずだ。「ふうん」の声の調子、その後の動作(お弁当箱を開ける、箸を取る、別の話題に移る)。今のままだと、カナは「なんでとは聞き返さない人」という機能名にとどまっている。
v2の改善:カナの応答に動作を一つ足す。あるいは「ふうん」の前後にひと呼吸の沈黙を置く。カナを機能ではなく、人として一瞬見せる。
以上の十項目を踏まえて、v2の改善方針:
v2が目指すのは、「なんとなく」の薄さを、文体そのものでも体現すること。説明しすぎない。分類しない。命名しない。
v1は「なんとなく」を題材にしながら、整理整頓のもっとも強い文体で書かれていた。これは題材と文体の不一致である。v2では、東が「うまく言えない」ことに留まり、英訳の試みも、ハッケンサックの記憶も、ひとつの場面のなかに、輪郭の薄いまま並べる。読者は東の頭の中の動きを、結論に整理されないまま見届ける。
達成できるかは、書いてみてもう一度判定するしかない。