東、高校二年、五組。月曜の三限が終わって、お昼休み。隣の席のカナが、お弁当箱を出しながら聞いてきた。「今日の昼、購買にする?」
わたしは自分のお弁当を取り出して、答えた。「なんとなく今日はお弁当」。
カナは「ふうん」と言って、それで会話は終わった。
そのあと、お弁当のたまご焼きをひとつ食べたところで、ふっと、頭の中で別の声が立ち上がった。「なんとなく」って、英語でなんて言うんだろう。
カナに「なんとなく今日はお弁当」と答えたとき、わたしは、別に深く考えていなかった。本当に、なんとなくだった。理由はあるような、ないような。お弁当を朝つくってもらった、というのも理由といえば理由だけれど、購買にしてもよかったし、たぶん、その日の気分に近いものが、五音のあとに薄く残っていた。
カナはそれで納得した。「ふうん」で終わった。「なんで?」とは聞かれなかった。
ハッケンサックの小学校で、同じ場面があったとしたら、どうなっていただろう。
ハンナが「Are you getting lunch from the cafeteria?」と聞いてきて、わたしが「Somehow I brought my lunch today」と答える。これは、たぶん、変だ。「Somehow」は、理由が分からないけれど何かが起きた、というときの言葉で、自分の選択について「Somehow」を使うのは、ちょっとずれる。
「Kind of」や「Sort of」はどうか。「I kind of brought my lunch」。これも変だ。「Kind of」は、断定をぼかす言葉で、お弁当を持ってきた、という事実そのものをぼかすことはできない。お弁当は、持ってきたか、持ってきていないか、のどちらかだから。
「For some reason」。「For some reason I brought my lunch today」。これは、理由が自分でも分からない、という意味になる。けれど、カナに答えた「なんとなく」は、そこまで強い「理由不在」ではなかった。もう少し、薄かった。
「I just felt like it」。「I just felt like bringing my lunch today」。これは、衝動寄りの言い方で、近いけれど、わたしの「なんとなく」のなかにあった、もう少し気だるい、もう少し選んでいない感じが、こぼれる。
「Vaguely」は、そもそもこの場面で使う単語じゃない。
たまご焼きのつぎに、ブロッコリーを食べながら、気づいた。
「なんとなく」を英語に訳そうとすると、どの英訳もひとつのレイヤーしか拾えない。「somehow」は理由不在のレイヤー。「kind of」は曖昧化のレイヤー。「I just felt like it」は衝動のレイヤー。「vaguely」は漠然のレイヤー。
日本語の「なんとなく」は、その五音のなかに、これらのレイヤーが薄く折り重なっている。場面によって、どのレイヤーがいちばん濃く出るかは違う。けれど、ほかのレイヤーも、薄く一緒に運ばれてくる。
カナに答えた「なんとなく」のなかには、たぶん、こういうレイヤーが入っていた。
四つのレイヤーが、五音のあいだに、薄く折り重なっていた。英訳で、これを一語で運ぶのは、たぶん無理だった。
そういえば、と思い出した。「なんとなく」は、お昼の場面だけじゃない。
朝、家を出る前、母が「なんでこの服?」と聞いた。わたしは「なんとなく」と答えた。これは、選択の理由をぼかす「なんとなく」。
先週、カナに「あの先生、なんか苦手なんだよね」と言われて、「なんとなく分かる」と返した。これは、共感の「なんとなく」。同意の根拠を細かく言わずに、ふわっと隣に立つ言い方。
三日前、駅のホームで、なんとなく振り返ったら、同じクラスの男子が後ろを歩いていた。これは、衝動の「なんとなく」。理由はない。からだのほうが先に動いた。
先月、模試のあと、自己採点しながら「なんとなく今回はだめな気がする」と思った。これは、予感の「なんとなく」。根拠は薄いけれど、輪郭だけはある。
同じ五音が、別の場面で、別のレイヤーを薄く運んでくる。「選択をぼかす」「共感する」「衝動を語る」「予感を述べる」。それぞれの場面で、英訳すると、たぶん別々の英語表現になる。
ハッケンサックの教室では、何かを言うと、よく「Why?」と聞かれた。
「わたしはこのチームに入りたい」「Why?」。「この本がいい」「Why?」。「サンドイッチはこっちにする」「Why?」。
「Why?」と聞かれたら、何かしら答えなければいけなかった。「Because」のあとに、理由を、言葉にして、組み立てる。説明できない、ということ自体が、ちょっと、不思議に映る空気があった。
もちろん、ハッケンサックでも「I don't know」と答える子はいた。「I don't know」は、理由を言えない、ということを、はっきり言う言い方。これは「なんとなく」とは、温度が違う。「I don't know」は、説明できないことを、説明できないと、宣言している。「なんとなく」は、説明することそのものを、ふわっと回避している。回避しているのに、応答としては成立している。
日本に戻ってから、いちばん驚いたのは、「なんとなく」が答えとして成立する場面の多さだった。「なんで?」と聞かれて「なんとなく」と返すと、相手は「ふうん」と言って、それ以上聞かない。理由を組み立てなくても、会話が終わる。
これが、ハッケンサックの「Why?」の世界では、たぶん、なかなか成立しなかった。
「なんとなく」は、理由を言わないままで応答を成立させる、ちいさな装置だった。
無言で「お弁当」と言うのとは違う。無言だと、ちょっと、そっけない。「なんとなく」を頭につけると、五音のあいだに、相手への配慮が、薄く入る。「あなたの問いに、わたしはちゃんと向き合っている。けれど、答えを細かく言葉にしないでも、許してほしい」という、ちいさな依頼。
英語で同じことをやろうとすると、たぶん、もうひとことふたこと、足さなければいけない。「I don't really have a reason, I just felt like it today」とか。長い。日本語の五音のかわりに、英語では十数音が必要になる。
長くなる、ということは、ぼかしの軽さが、消えるということでもある。「I don't really have a reason」と言ってしまうと、理由を言わないこと自体が、ちょっと重く立ち上がってしまう。「なんとなく」の、ふわっとした軽さは、その一語で済むこと、によってこそ運ばれていた。
「なんとなく」は、英訳するとレイヤーが切れる。理由不在、曖昧化、衝動、漠然、予感。それぞれを別々の英語表現が、別々に拾う。けれど、日本語のなかでは、五音のあいだに、これらが薄く折り重なって、ひとつの応答になる。
切れる、ということは、欠けている、ということではない。英語は英語の温度で、理由を言葉にする文化を機能させている。日本語は日本語の温度で、理由を言わないままで応答する装置を持っている。両方とも、それぞれのやり方で、会話を成立させている。
明日もまた、わたしはカナに「なんとなく」と答える。母にも、たぶん「なんとなく」と答える。五音のあいだに、その日のレイヤーが、薄く折り重なって、相手のところに届く。届いて、「ふうん」と返ってくる。それで会話が、続いていく。
続いていく、ということが、たぶん、いちばん大事だった。訳せないものは、訳せないままで、隣に、置いておく。
→ 第二稿:なんとなく、の、輪郭(v2・書き直し)
→ 第一稿への辛口レビュー
→ 次話:お先に、を、誰に(東のことばのメモ #6)
← 前話:お互い様、の、温度(東のことばのメモ #4)
← 関連:お疲れ様、を、英語で(東のことばのメモ #1)
← 関連:すみません、の、いくつか(東のことばのメモ #2)
← 関連:もったいない、を、訳しかけて(東のことばのメモ #3)
← 関連:隣に、置いて、答える(東のシリーズ最終話)
← 関連:東のシリーズの種明かし
← シリーズ #1:日本では
← シリーズ目次に戻る
本作は東のシリーズ番外編「ことばのメモ」シリーズ第5話。月曜の三限のあとのお昼休み、カナに「今日の昼、購買にする?」と聞かれて「なんとなく今日はお弁当」と答えた。「なんとなく」を英語に訳そうとすると、「somehow」「kind of」「for some reason」「I just felt like it」「vaguely」のどれもがひとつのレイヤーしか拾えない。理由不在、曖昧化、衝動、漠然、予感。日本語の五音のあいだに、それらが薄く折り重なる。ハッケンサックでは「Why?」と聞かれたら理由を組み立てる必要があった。日本では「なんとなく」が応答として成立する。理由を言わないままで応答を成立させる、ちいさな装置。訳せないものは、訳せないままで、隣に、置いておく。(本作は第一稿。批判ページと第二稿あり。)