水の、入れ替え(第二稿)
家業に入った年、水を見れば店が分かると言われた朝

エグチケンタロウ(50歳・豆腐店三代目)

うちの豆腐は、水に泳がせて売る。店先の水槽に水を張り、その中に豆腐を浮かべておく。客は欲しいぶんだけすくってもらう。だから客は、豆腐に手を伸ばす前に、まずその水を見ている。透いているか、濁っているか。それを見て、この店から買うか決める。豆腐より先に、水が値踏みされている。

一九九八年、二十二歳で家業に入った。最初に任されたのは、配達でも釜でもなく、水槽の水の入れ替えだった。前の日の水を抜き、水槽を洗い、新しい水を張る。父は「豆腐より先に、水をやれ」と言った。

初めて水を抜いた朝のことは覚えている。底の栓を抜くと、ごぼごぼと音を立てて昨日の水が落ちていく。手を入れて栓を探るあいだ、十一月の水は指の付け根からじわじわ来て、抜き終えたときには手が赤くなっていた。新しく張った水は、それより少しぬるい。井戸を通してきたぶん、冬は外より温い。豆腐がいちばん落ち着く温度というのがあって、それは数字ではなく、手を入れたときに決める。父はその温度を、手首まで入れずに、指先だけで当てた。

そのとき父が言った。「水を見れば店が分かる」。濁った水で豆腐を泳がせている店から、豆腐を買うな。水が濁るのは、替えていないか、豆腐が崩れているか、どちらかだ。客は味の前に、水の透明さでその店を信じるか決める。値踏みされているのは豆腐ではなく、毎朝この水を替えるという、店の手のほうだ。

水の入れ替えを覚えたあと、父は釜に入れた。豆乳ができると、にがりを打つ。柄杓に取って、湯気の立つ豆乳の上を、二度三度に分けて細く回す。一気に落とすと固くなる。打ちながら、表面を見る。てらりと光れば、寄せが効く。光らなければ、その日の豆腐は逃げる。父は豆乳の艶で出来を言い当てた。客が水の透明さで店を当てるのと、それは同じ一つの目だと、私は釜の前で気づいた。見て、言い当てる。水のときと、豆乳のときで、見るものが違うだけだ。

夕方に売れ残った豆腐は、捨てない。翌朝、厚揚げと油揚げにする。一度低い油で形を決め、もう一度高い油で色をつける。二度揚げの油の音が変わる瞬間がある。その音で揚げ上がりを引く。前の日の豆腐が、次の日の別の品になって、また水槽の横に並ぶ。

スーパーのパック豆腐と、なぜ値段が違うのかと客に訊かれる。昔は「ものが違う」と答えた。今は水のことを話す。大豆もにがりも、たいして変わらない。毎朝この水を替える、その手のぶんです、と。そう言うと、たいていの客は、もう一度水槽を覗く。

二十八年、毎朝、私が最初にやるのは水の入れ替えだ。豆腐を作る前に、栓を抜く。ごぼごぼと昨日の水が落ちていく音を聞きながら、手を入れて温度を見る。父はもういない。私は、水を見ている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。