三月。研究支援課の波多野ひよりは、二月から回覧と精算の記録の仕組みを動かしている。誰が、いつ開いて、どこまで読んだかが残る。学務課の梶田は、四月から研究支援課へ異動する内示を受けた。
三月十五日、月曜の夕方。ひより、画面に起案の様式を出している。梶田はカウンターにもたれている。
梶田件名
ひより「研究費支出に係る証拠書類の取扱いについて(申合せ)の廃止について」
梶田長い
ひより元の題が長いから。元のは二〇〇四年四月一日から。起案者、杉浦さん
梶田やっぱり
ひより理由の欄は一行。「金額の大きいものは、原本に確認者の印を要する」
梶田一万円って、大きいの
ひより分からない。なんで一万円なのか、どこにも書いてない
梶田聞けば
ひより十月に聞いた。「規程にあるので」
梶田廃止の理由は
ひより「証拠書類は電子で保存し、閲覧と確認の記録が残るため」
梶田閲覧って、何分開いてたら、ってやつ
ひより分はやめた。最後のページまで行ったら、見た。行かなかったら、見てない
梶田何人も見てたら、誰のせいになるの
ひより見た人が、全員並ぶ。最後の一人のことには、ならない
梶田四月から、俺もそこに並ぶのか
ひより並ぶ。四月一日付で、閲覧の権限つけとく。席は、奥の窓の
ひより、カウンターの奥の席を見る。杉浦が老眼鏡をかけて、束に判を押している。
三月十七日、水曜の午後。カウンターに四階の先生。梶田は、学務課の書類を届けに来たまま残っている。
先生会計課から電話をもらって。確認書に署名を、と
ひよりこちらです
ひより、確認書と、二〇〇三年度三月の精算書と、のりの跡が残る茶色の封筒を並べる。封筒は空。先生、表書きを見る。
先生私の字だ。職名が、助手
先生、精算書の受付の欄を指で押さえる。
先生ここ、空いてる
ひより空いてます
先生入れたんですよ、あのとき。カウンターに誰もいなくて、精算書と一緒に、トレイに置いた
梶田それで、くっついた
先生二十三年
先生、笑う。声を出して、長く笑う。梶田がつられて笑う。ひよりは確認書の署名欄に付箋を貼って、待っている。
先生輪ゴムをね、四本にするところでした
ひより署名を、ここに
先生はい。……判子は、研究室に置いてきた
ひより署名で受けます
先生杉浦さんは、何か
ひより会計課に持っていったのは、杉浦さんです
先生そうですか
先生、署名する。カウンターの奥のほうへ一度頭を下げて、帰っていく。杉浦は束から顔を上げない。
梶田見たことになると、あとで呼ばれるんだよ
ひより呼ばれたね
梶田お礼で
三月三十一日、水曜の昼休み。ひよりと梶田、確認書の控えを届けに研究棟の四階へ。先生の研究室の扉が開いていて、中に人はいない。机の上に、ノンアルコールビールの缶が一本。
梶田入っていいの
ひより机に置いといてください、って。扉は開けとくから、って
ひより、控えを缶の横に置く。梶田は廊下から缶を見ている。
梶田飲んでないじゃん
ひより置いてある
同じ日の午後三時。ひより、申合せを廃止する起案を、杉浦の机に持っていく。合議の欄に課の判が並び、杉浦の欄だけが空いている。
ひより申合せの廃止です。四月一日から
杉浦、老眼鏡をかけて読む。添付の新しい手順の、二枚目で止まる。
杉浦精算の残りを、現金で返しに来る人がいます
ひよりはい
杉浦カウンターに誰もいなくて、トレイに置いていったら。その現金は、誰が見たことになりますか
ひより……誰にも、なりません。紙のときと同じです
杉浦そうですか
ひより直します
ひより、手順の二枚目に赤で一行書き足す。「現金の受け渡しは、渡す人と受ける人が、その場で二人で記録する。トレイに置かない」。訂正印を押す。ひよりの判。杉浦、その一行を読む。
杉浦はい
杉浦、印鑑ケースから判を出す。紙に置いて、そのまま全体を押す。
ひより……今日は、左下から押さないんですね
杉浦はい
印影は、左下まで同じ濃さだった。
終業のチャイム。杉浦、印鑑ケースを上着の内ポケットに入れて立つ。課長と課の何人かが立ち上がる。梶田は、カウンターの外にいる。
杉浦お世話になりました。お先に失礼します
杉浦、カウンターの横を通る。ひより、立つ。
ひより杉浦さん。四月から、紙はやめます
杉浦お願いします
杉浦、出ていく。ひより、席に戻って、起案の回覧の記録を開く。名前が九つ並んでいる。いちばん下が杉浦。最後のページまで。
梶田俺の名前、ないじゃん
ひより明日から